私「洋ちゃん」、
伊藤萬蔵さん寄贈の石造物巡りを楽しんでいます。
その一環として
先日(16日)千種区城山町1丁目47にあります、
宝亀山相応寺を訪ねました。
相応寺の由緒等について
・寛永20(1643)年、藩祖義直が生母於亀の方(相応院)のために東区山口町に創建。
・昭和9年、現在地に移転。総門と本堂の額は義直の自筆である。
↓ ネットより
浄土宗鎮西派寺院。京都知恩院の末寺。
寛永二十年(1643)初代尾張藩主徳川義直が生母お亀の方(相応院)の追悼のために、現在の東区山口町に建立。
義直の没後はその遺体を定光寺に葬るまでの間安置供養した。
本尊は木造阿弥陀如来立像。
昭和九年(1934)赤塚・山口地域の開発のためにと現在地に移転。
本堂・駿河御殿(空襲で破壊)・鐘楼・山門・表門を移築。
移転当時京都東山の清水を模した舞台をつくったが後に撤去。
山門と本堂の額は義直の書、鐘には林道春の銘がある。
東西三十間南北十二間の本堂を有す。
本堂の右前に相応院の墓碑、階段脇に茶筅塚がある。
↓ 本堂から日泰寺(赤矢印)方面
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「伊東萬蔵」さん寄贈の石碑
○標石
正面 (梵字キリーク)
阿彌陀如来四十八願所
第二番札所 相應寺
右面 名古屋市西區塩町
伊藤萬蔵
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↓ ひがし見聞録よりスキャン