北条山・観音寺を訪ねる…瑞穂区丸根町二丁目 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(10月30日)

瑞穂ウォーカーの仲間の皆さんと、

瑞穂区丸根町二丁目にあります

北条山観音寺を訪ねました。

(ガイドの説明資料にするため少し詳しくブログしました)


北条山観音寺について(名古屋市瑞穂区史跡散策路等より)

・浄土宗鎮西派、慶長10年(1605)開基万誉存公が創建。

 (浄土宗総本山知恩院末寺)

・本尊は阿弥陀如来で徳川源敬公(尾張藩初代藩主)より拝領したもの。

 

・観音堂には元和8年 (1622)井戸の中から発見されたと言われる千手観音納められている。

寺宝として、円空作とされる善女竜王像があり、頭の上に竜が乗る、後背面に梵字がうっすら

 と残っている。

 

・寺は

 織田信長の弟、信照が築城した中根城の北城、中ノ城、南城のうち「南城」の一部であった。

(中根南城の一部であり、かつては堀址の名残りが見られたという)

 

・寺の西側に北条八幡社(祭神、応神天皇)は、中根南城の鎮護神ともいわれる。

・その脇には樹齢400年を超す黒松が在城当時をしのばせ市と県の指定文財となっていたが、

 昭和33年枯死により解除された。

 

・嘉永3年(1850)十尋堂で寺子屋が開かれていた。明治の学制とともに廃止された。

・明治6年(1873)愛知郡第17番小学正倫学校(弥冨小学校の前身)が境内に生まれた。


(お断り)

・一部、2014年4月12日にタイトル「観音寺(瑞穂区丸根町二丁目)としてブログした

 内容と重複します。

・デジカメも一部重複しています。

  

 ↓ 道の左手にある北条八幡社

 祭神 誉田別命(応神天皇)を祀る。

かって境内に、名古屋第一の巨松があった。

樹齢約400年、根回り8m、樹高は40mほどあったが昭和34年に伊勢湾台風のため

枯死した

↓ 巨松の根の部分(パンフレットをスキャン)…デジカメを忘れました

  ↓ 参道

↓ 右が本堂…昭和47年、鉄筋コンクリート製で再建され落慶法要を営む。

  左が観音堂…昭和54年、鉄筋コンクリート製で再建され落慶法要を営む。

↓ 観音堂の御本尊は弘法大師御真作の千手観音菩薩さまを祀る

 (千手観音菩薩はその昔元和八年(1622)半土中より出現の霊像である)

  尾張城東西国三十三観音霊場の第15番札所

↓ 本堂…尾張藩祖義直公から御下賜された本尊阿弥陀如来さまを祀る。

 ↓ 境内にありました。


↓ 東側の門。門の向こうに幼稚園があり。

寺宝の円空仏

円空上人(1632~1695)作の「善女竜王像」…黒➡の場所にあります

竜が頭上にのった「善女竜王像」は尾張で唯一である。

前面にあるのはレプリカ
 
    

   ↓ 赤➡が本物です。
   洋ちゃんレプリカを持つ。

   「坊主頭」お似合い???…少し恥ずかしいですが~!!

                 本堂内では帽子はダメです。
     

 

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先日、瑞穂区某史跡案内の会の仲間の皆さんと、

瑞穂区丸根町二丁目にあります「観音寺」を訪ねました。

(ガイドの説明資料にするため少し詳しくブログしました)


北篠山観音寺について(名古屋市瑞穂区史跡散策路より)

・浄土宗鎮西派、慶長10年(1605)開基万誉存公が創建。

・本尊は阿弥陀如来で、徳川源敬公(尾張藩初代藩主)より拝領したもの。

・観音堂には元和8年 (1622)井戸の中から発見されたと言われる千手観音が 

 納められている。

寺宝として、円空作とされる善女竜王像があり、頭の上に流が乗る、後背面

 に梵字がうっすらと残っている。

・寺は織田信長の弟、信照が築城した中根城の北城、中ノ城、南城のうちの

 「南城」の一部であった。

 (中根南城の一部であり、かつては堀址の名残りが見られたという)

・寺の西側に北条八幡社(祭神、応神天皇)は、中根南城の鎮護神ともいわれる。

・その脇には樹齢400年を超す黒松が在城当時をしのばせ市と県の指定文化 

 財となっていたが、昭和33年枯死により解除された。
  

寺の西側にある北条八幡社

参道

左の建物が観音堂。右が本堂。

観音堂の千手観音。

本堂・・・本尊の阿弥陀如来

境内にありました。

東側の門。門の向こうに幼稚園があり。