笠寺一里塚でデジカメ…南区白雲町地内 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(4日) 、南区白雲町地内(旧、東海道の筋)にあります、

「笠寺一里塚」でデジカメ…。


以前にも訪ね、今年4月27日にブログしましたが、

エノキ(榎)の葉がすっかり落ちた状態でしたので再度、訪ねました。


   


笠寺一里塚について

(名古屋市南区史跡散策路、名古屋市南区東海道まち歩きの書等より引用)

・慶長9年(1604年)徳川幕府が主要街道を整備したとき一里((約4km)毎に塚を築き、その

 にエノキやマツの木を植えて道しるべとした。

・一里塚は旅の目印として、人足が荷物を運ぶとき運賃計算の目安にされた。


・笠寺一里塚は市内に残る唯一のもので、土を盛った上にエノキが大樹となって力強く根

 張って、今も当時の面影を残しながら東海道を偲ぶにふさわしい姿をとどめている。

(市内にはかって12カ所一里塚があったと言われている)

(※9カ所と記した書物もあり…どちらが正か???)

・笠寺一里塚は一対の塚であった、

 他の一基はムクノキが植わり、道を隔てた南側に大正時代まで残っていた。
    
 




(付記)

・一里塚は,旅人の目印として江戸時代に街道沿いに設置された。
・1601年(慶長6)に宿駅制が定められ五街道が整備されるにつれて,各地で一里塚が作ら
 れるようになった。
・一里塚は街道の両側に置かれ,多くの場合はエノキ(榎)が植えられたのは、
 徳川家康が「よい木を植えよ」と言ったのを「エノキを植えよ」と聞き間違えたからだという
 説があり。
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(追記)
4月27日のブログからコピー

先回、4月に訪ねた時のデジカメです



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巨木巡礼よりスキャン
 
 

(13,778歩)