いにしえの稲葉地村を訪ねる…(⑥了通寺⑦真聖寺⑧神明社)№6=最終回 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」中村区の某史跡案内の会に所属しています。

先日(12日)稲葉地地域の史跡案内を担当し無事終えてきました。

その際、作成した資料を基に、

「いにしえの稲葉地村を訪ねる」としてシリーズで紹介しています。
№6=最終回

⑥了通寺 ⑦真聖寺 ⑧神明社について

   

    

⑥了通寺中村区稲葉地町3-20

創建:不詳 大野山と号し、真宗大谷派、本尊;阿弥陀如来

往古は天台宗で仙蔵坊といい、明応6年(1497)(諸説あり)に改宗したという。

 大昔、この地にあったと伝わる「千畳堂」の跡地から出土した三体の木仏が本堂の右側に安置されている…いずれもかなり傷んでいる。

信長の時代に仏教が弾圧を受けたので、暫くの間地中に埋められていた。
     

本堂はいつ頃のものか分からないが、濃尾地震のとき倒れたので元の材料を使って建て直された。

昭和31年より「稲葉地保育園」を開園されている。

 ↓ 本堂

 ↓ 境内にあり

↓ 村絵図…赤丸が「千畳堂」

 青丸が「了通寺」


⑦真聖寺中村区稲葉地町3-62

   上記・村地図の紫色   
   

   (注)この石碑は中村区大門にあります「稲本」の寄贈
黄檗宗 山号は薬王山 本尊:薬師如来

創建は享保十年(1725) 開山は黙然和尚

戦前は無檀家の寺であった。

田畑を5,483坪所有している裕福なお寺であったが、戦後の農地改革で減少。…戦争の爪痕を感じさせる。

昭和57年から平成3年まで大相撲名古屋場所の度に、武蔵川部屋(元三重ノ海)の宿舎になっていた。
 
元は岩塚村祠官の支配下にあったが享保10年(1725)に宇治万福寺の末寺となり、真聖寺とる。

往古、庄内川が氾濫した際に流されてきた薬師仏を祀ったところ、村から疫病がなくなったと云われている。

この仏は、かって東方にあった真言宗の「千畳堂」から流された本尊という話も伝わる。

 …上記、村絵図赤丸参照

黄檗宗の異国情緒あふれる赤い門が特徴的。



⑧神明社…中村区稲葉地町2-119

     上記・村地図の橙色

通称「花ノ木神明社」で「下ノ神明社」とも呼ばれる。

祭神:天照大御神

例祭:10月7日

創建:延宝七年(1679)11月以前…江戸時代前期と思われる

稲葉地旧下ノ切の氏神で春日・八幡・秋葉・大日の諸社も祀る。


境内には、クロマツ、ケヤキ等の巨木が多く独特の印象的な景観(風景)が漂う。

※鎌倉街道や佐屋街道から少し外れているが、旧街道沿いの風景が漂う。

 

 

(14,319歩)