名古屋駅東方面にある旧町名の由来について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(8日)にブログしましたが、

私「洋ちゃん」、

18日に「名古屋駅前散策コース(史跡)」の案内を担当します。


この辺りは昭和52年10月に町名の表示変更されています。

案内の資料のため、コースの旧町名の由来について調べました。

 

★私「洋ちゃん」所有の

昭和27年11月発行の「名古屋市地図」の一部をスキャン


★ 現表示の地図


・米屋町…現・名駅三・四丁目

 米穀取引所があり名付けられた。

・志摩町…現・名駅三・四丁目

 江戸時代に当地に竹腰志摩守の下屋敷が所在したしたことに由来する。

・小鳥町…現在、那古野一丁目

  当所より大須観音の馬之塔を出す時に、

 山車(だし)の飾りに小鳥かごを作り物としたことから名付けられた。

・泥江町…現・名駅四丁目

 泥の深い湿地帯であったことからこの町名を付した。

・花車町…現・名駅五丁目

 古くここから大須観音の馬の塔を出したときに、

 山車の飾りに花車の作り物を付けたことからこの地を花車町というようになる。

・舟入町…現・名駅五丁目

 清須より移して舟入葭(よし・あし?)町といっていたがのち、この名に改めら

 れた

・納屋町…現在・名駅南一・二丁目、

          名駅五丁目

 熱田の魚商人4人が慶長年間ここに移り住み魚肴菜蕗の類を貯えておいた

 家を魚屋(なや)と呼ぶのでなや町というようになったといわれている

※なお、

 「張州府志」はこのあたりには倉庫が多いところから納屋町となったとして

 いる

・西柳町

 東柳町…現・名駅五丁目及び名駅四丁目

 柳橋から北へ、もと市電江川線ぞいのほどうの両側に柳の並木があった。

 この江川線沿いの東側が東柳町、西が西柳町。

・内屋敷町…現・名駅南一丁目、名駅南二丁目

 もと広井村のうちで字名を納屋裏と称えたが文政年間菜矢鵜(なやう)町と

 改称した。

 町のいわれは、東戸田道の南裏の人家があったからともいわれている。

・祢宜町…現・名駅南一丁目、

 広井八幡の社の祢宜がここに住んでいたので名付けられた。

・広井町…現・名駅二・三丁目

 名古屋駅前付近は、昔入江の内で泥江(ひじえ)と呼んでいた。

 これが転じてひろえ(広江)となり3転して広井の町名が生まれたとされて

 いる

・堀内町…現・名駅三・四丁目

 当時の住人堀内金兵衛が当町の開発に尽力したのでその名をとって名付け

 られる

・笹島町…現・名駅一丁目

 広井村の西方、外田字笹島という地が、戸口が増加したので文化2年(1805)

 村とした。

・蘇鉄町…現・名駅南一・二丁目

 もと、下広井に属し、八切町または矢切筋と称していたが明治11年(1878)12月

 分裂して当町を新設した。

 

下記を文献としました。



(11,524歩)