堀川に架かる七橋の一つ「日置橋」に行く | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日(12日)

堀川に架かる七橋の一つ「日置橋」に行きデジカメ.

堀川七橋とは

堀川は、

名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として徳川家康の命で慶長15年(1610)、

福島正則に よって開削される。  

江戸時代には、七つの橋が架けられ「堀川七橋」と呼ばれました。

 後向、黄色の橋が現在「日置橋」です。

 

「日置橋」について

文化元年(1804)に御普請奉行の堀弥九郎が日置橋の南北数百メートルの間の両岸に数百本の桃と桜を植え、文政5年(1822)頃には茶屋・料理屋・菓子屋など20軒余りも店を構え、花見舟も繰り出し大変な賑わいでした。

…名古屋第一の観光地となっていました。

 

「尾張名所図会」には「両岸に往きかう群衆、水には舟を浮かべて上下に花を賞するさま、さながら嵐山、隅田川の春興にも劣らぬ勝地なり」と書かれていて、この様子を「堀川日置橋より両岸の桜花を望む図」としても画かれている。

 

明倫堂督学や書物奉行を歴任した深田正韶は、この風景を「咲きつづく みぎわの花はいく千尋 はるにさらせる錦なるらん」とよみ、また、森玉僊をはじめ多くの画家が画題にとりあげました。

 

残念ながら現在は、かっての桜の名所の面影は全くありませんが、

平成23年には名所の復活を目指して、ヤマザクラが3本植えられた。

 

明治14年(18811)以降2度の改築が行われ、現在の橋は昭和13年(1938)改築されたものです。

 

尾張名所図会

原本

彩色


名古屋名所団扇絵集…私「洋ちゃん」所有

堀川花盛

堀川花盛の図より

・この図は江戸時代の堀川の花見の様子の資料としていろいろな書物で紹介

 されています。

・図の左手の橋は「日置橋」とされています。

・日置橋付近は城下町の郊外であり気楽に行くことが出来る場所でした。

 

・川岸をおおいつくす、満開の桜…堀川の一番華やいだ風景。

・京の嵐山、江戸の隅田川、大阪の櫻ノ島の淀川とそれに似た風致。

 ※堀川が花見で賑わうようになったのは文化年間(1804~18)とされる。


屋形船、小船、筏(いかだ)あり。

葭簀(よしず)掛の小屋の群集。

路を行く士農工商。

橋上・川を俯瞰する日傘を持ったた美女、その他の男女。

等々、

細かに画かれおり当時の様々な様子が分かります。

 

現在の「日置橋」デジカメ
黄色の橋が「日置橋」

ヤマザクラが3本植えられたています.

「日置橋」の後方からデジカメ

 

 

(13,393歩)