神明社2社を訪ねる…中村区「旧、稲葉地村」の史跡巡り(№2) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」中村区の某史跡案内の会に所属しています。

先回の会議で

「旧、稲葉地村」地域にある史跡巡りを担当することに。

 

私は東区に住んでおり中村区内の史跡についてはチンプンカンプン。

先日、

この地区の史跡を訪ねてきました。

 

中村区「旧、稲葉地村」の史跡巡り(№2です)
神明社を訪ねる

中村区「旧、稲葉地村」には神明社は2社あり…。

 

★最初に訪ねた神明社で、住民の方から

 城屋敷町4-10にある神明社は『上ノ神明社』

 稲葉地町2-119    〃 『下ノ神明社』

と呼ばれていると聴取。


◎城屋敷町4-10神明社(稲葉地城址)を訪ねる『上ノ神明社』
 

神明社(稲葉地城址)について

・祭神・天照大御神。

・例祭・10月7日

 ・稲葉地城址の碑があり。  

・稲葉地城は織田信長の伯父津田豊後守の居城だった位置に神明社はあり。

 ・同城は天正10年(1582)に四代小藤次が京都本能寺の変で戦死した後、廃城となったと

 伝えられる。  

・現在もその末裔が居住されている。  

 (以上、名古屋市中村区史跡散策路、中村区史より引用)
 
  
  
・このあたり棒の手が奉納されていました。

※棒の手は天分23年(1554)に尾張岩崎城主丹羽勘助氏次の時代、

 城下に加賀の人々が移り住み、技を伝えたのが広まったのだとの由。
※このあたり、馬の塔が盛んであったが、棒の手はその警護役として行われていた。

※その後、棒の手は独立して行われるようになり、各村々がその技を競った。
 

 神明社内の棒術碑

 ★本来、稲葉地の棒の手は「野田流(不言流)」であったと思われる。

 (文献…中村区歴史余話より)
境内にてデジカメ

 鳥居の右にあり…何か由緒ありそうですが??です
  

本殿バックに

 摂社…本殿の左にあり

 東側の鳥居

 

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稲葉地町2-119神明社を訪ねる 『下ノ神明社』

神明社…『下ノ神明社』について

・通称花ノ木神明社…旧町名表示、稲葉地町花の木からの通称

・祭神・天照大御神。

・例祭・10月7日

・稲葉地旧下ノ切の氏神で春日、八幡、秋葉、大日の諸社も祀ります。

・境内にクロマツ、ケヤキ等の保存樹があります。

     (以上、名古屋市中村区史跡散策路、中村区史より引用)

立派な社…尾張造り(拝殿ー幣殿ー本殿)

摂社

 

 

(13,761歩)