先日、(江戸時代の景勝地)昭和区檀渓を訪ねてきました。
「尾張名所図会」も檀渓の当時の様子が描かれています。
図会の句の詠み
檀渓(だんけい)
士朗
枇杷園句集
露に
おとあり
誰かすみなれて
茶のけふり
《露(ろ)に音(ね)あり
誰住(だれす)みなれて
茶の煙》
・図会の真ん中を「山崎川」が流れ、松並木が続く…現在は桜並木が続く。
・図会の説明書きには、この地は僧侶が庵を結んだり、文人墨客がたびたび訪れる幽玄の地であった。
★山崎川の水、崖、樹木がつくる風景画が幽玄とされた。
・図会にある掛樋は、隼人池から藤成新田(現 藤成通り辺り)への灌漑用水です。
赤矢印の場所にてデジカメ
檀渓之勝蹟…空襲を受け2つに折れて転がっていたが平成3年地元民が修復した。
「檀渓」の呼び名等について
・白林寺(現 中区栄三丁目)住職の檀渓和尚がこの地に庵を結び、自然を楽しんだといわれる。
…地名はこれに由来する。
★白林寺(現 中区栄三丁目)は1625年(寛永2年)、尾張初代藩主義直が、
家老・成瀬正成の菩提を弔うため建立した寺院。
・白林寺五世・檀渓徹(てつ)和尚の時代の寛文年間(1661~73年頃)、
檀渓徹和尚は住職を辞し、この地に庵を構え隠棲した。
(18,732歩)