先日、南区にあります笠寺観音の境内に
「伊藤萬蔵」さん寄進の石造物があると聞き早速訪ねてきました。
以前から伊藤萬蔵様、寄進の石造物巡りを楽しんでいます。
設置場所:本堂前…一対としてのデジカメ出来ず
◎花立一対
花立(右)
陰面 大正十五年四月
正面 奉納
左面 名古屋市西區塩町
右面 仝
伊藤萬蔵
正面 奉納
(付記)
・2013年5月26日にタイトル「笠寺観音にある芭蕉句の石碑」
・2014年12月28日にタイトル
「笠寺観音(笠覆寺)を訪ねる…「柴山藤蔵」贈の石碑一対見つける 」
・2015年1月11日にタイトル
「なごや七福神めぐり;『寿老人』八事山興正寺 『恵比須』笠寺観音笠覆寺を訪ねる 」
としてブログしました。
こちらと併せてお読みください。
笠寺観音の略史
・「天林山笠覆寺(てんりんざんりゅうふくじ)」といい、甚目寺・荒子・竜泉寺とともに尾張四観音の一つとして古くから親しまれている。
・天平年間(729ごろ)に僧禅光が開き、十一面観音を安置したのが始まり。
・当初は「小松寺」と呼ばれていた。
・その後荒廃し、そのお堂は朽ち果てて雨ざらしになっていたが、
それを見かねた娘が観音像を笠で覆っていた。
その光景を旅の途中で見た藤原 兼平が、その娘を見初め妻にした。
・二人は現在地に笠覆寺(りゅうふくじ)を建立した。
※延長8年(930)に藤原兼平がこの地に復興し、現在の「笠覆寺」という名前になる。
・また、嘉禎4年(1238)に僧阿願が再建した。
・本堂は宝歴13年(1763)に建造されたもの。
野ざらしになっていた観音様を近所の貧しい女が自分の笠を脱いで頭にかぶせている。
偶然に通っていた藤原 兼平(太政大臣藤原基経の三男)に見初められ夫婦の契りを交わす。
「東海道名所図会」によれば、この女は「玉照姫」といい鳴海の長者の侍女であったという。
(23,256歩)