蕉風発祥の地…名古屋テレビ塔東北の脚の北にあたり | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、名古屋テレビ塔東北の脚の北にあたりにある

 「蕉風発祥の地

に朝の散歩で訪ねました。

「蕉風」とは, 松尾芭蕉とその門人によって確立された俳句の作風をいう。

 

蕉風発祥の地について(名古屋市中区史跡散策路より引用)

貞享元年(1684)芭蕉七部集の第一集「冬の日」がまとめられたのは、江戸でも京洛の地でもない「尾張名古屋の宮町筋、久屋町角西に入る南側」傘屋久兵衛の借家。

このとき、芭蕉は「こがらしの 身は竹斎に 似たる哉」と発句した…貞享元年の冬のこと。

それを記念として「蕉風発祥の地」の碑が建てられている。


※光って不鮮明な部分の記載です ↓

  第一集「冬の日」の歌仙を興行したところである。
  この「冬の日」こそ芭蕉がことばの遊戯でしかなかった俳詣を、

(追記)

芭蕉が始めて名古屋に来た時、多くの門人ができたので、しばらくこの地に足をとどめようと、ここに借家泊まりした。

そのとき、詠まれた発句を集めて「冬の日」と名づけた…「冬の日」の五歌仙が巻かれた。

家主は傘屋久兵衛、また身元引受人は、大和町(現中区丸の内)の備前屋野水(やすい)である。

 

芭蕉発祥の地にある

碑文には「冬の日」の巻頭の文が彫られています ↓
 
★右端の記載

 笠は長途の雨にほころび紙衣はとまりとまりの
  あらしにもめたり侘つくしたるわび人我さへ
  あわれにおぼえけるむかし狂歌の才士此國に
  たどりし事を不圖おもひ出で申侍る

★句の部分

 狂句 こがらしの 身は竹斎に 似たる哉  芭蕉

  たそやとばしる 笠の山茶花(さざんか)  野水

 有明の主水に酒屋つくらせて         荷兮

  かしらの露をふるふあかむま     重五
 朝鮮のほそりすゝきのにほひなき   杜國
  日のちりぢりに野に米を刈る     正平

 

名古屋市教育委員会設置の標札の下にある碑文 ↓

蕉風発祥之地
芭蕉は野ざらし紀行の途上貞享元年(1684) の冬名古屋に立ち寄り土地の青年俳人を連 衆として「冬の日」の巻々を興行した。
この巻々こそ遊びの俳諧より脱皮した芭蕉が 始めて芸術としての俳諧を樹立した記念塔なの である

その場所を「宮町通久屋町西へ入ル南 側傘屋久兵衛借宅」と「家並増減帳」は指摘して いる 

現状に当てはめて見るとこのあたり(テ レビ塔東北の脚の前面)と推定される
今ここに文学碑「蕉風発祥之地」を建立し碑 面に巻頭歌仙木枯の巻の表六句を刻する所以は 俳文学史上無二の俳蹟を顕彰すると共に郷土 先人の業績を永遠に伝えんが為に外ならない
             (市橋 鐸 謹誌)
    昭和四十五年十二月
       蕉風発祥之地建碑委員会