大幸川…東区から北区に流れる川(現在は暗渠化) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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大幸川

…東区から北区に流れる川(現在は暗渠化)について調べました。

 

以前から「大幸川」の流れについて??でしたが、

先日、

北区誌・東区史の文献よりある程度理解できました。

 

大幸川について、

★東区史(昭和48年8月20日発行)より

大曾根を経て東志賀にて黒川に合流するもので、今では下流部はほとんど暗渠になっている。

豪雨の際にはよく氾濫し、農作物を害することが多かったので、天明年間に東志賀で直接御用水に注入せしめることとし、東志賀以下を廃川とした。

茶屋ヶ坂池などの水があふれ、低地になっている北へ流れ、矢田学区の東端の方に流れている

悪水路である。

農業用水としての価値がなくした戦後、暗渠になった川である。
  

★北区誌(平成8年2月11日発行)より

東区史等によると、

大幸川は鍋屋上野町東方の谷口付近の涌き水が水源となっていたとする説であったが,

北区誌には、
明治24年の地形図と、

庄内川治水地形分類図より

水源地は、

・現在の東区大幸付近のものと

・千種区竹越付近のものとの二流れが認められる。

と記載あり

この二つの流れが、現在の東大曽根あたり(旧北公共職業安定所付近(北大曽根町上二丁目))

で合流して北西に流れ、志賀橋のすぐ北、猿投橋で黒川と合流している。

現在、

大幸川は下水用の大幸幹線として使われ、川の流れが人々の目に触れることはない。

 

明治24年の地形図

庄内川治水地形分類図

 

志賀橋と少し北にある猿投橋でデジカメ

※大幸川(暗渠)が黒川と合流する地点。 



志賀橋の橋上から合流地点をデジカメ

 赤矢しるし大幸川(暗渠)、青矢しるしは黒川。

 向こうに見える白い橋は猿投橋

今日、酷暑の中、志賀橋から上飯田まで木陰を散策してきました。

猿投橋をバックに…A、M、10時30分頃にデジカメ
(自撮りです)

 

(追記)

東区大幸町の町名の由来…東区史より引用

 

東区砂田橋の町名の由来…ひがし見聞録より引用
 


(20,082歩)