(瑞穂区)大喜三城について | 「洋ちゃん」のひとりごと

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(瑞穂区)大喜城址についてです。

 大喜村にはお城が3つあり、これを大喜三城という。

  ↓ 尾張名所図会に書かれています。
  
 

尾張張名所図会に

 「大喜城跡」が描かれている(赤矢印の部分)

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大喜東北城(別名・岡本館)

張州府志に記載があるお城です。 

 ①所在地 瑞穂区豊岡通1
 ②年代   ?

 ③主な城主 岡本久治

 ④立地   平城

 ⑤遺構等 ?


『現況』

・天理教東愛大教会内の敷地辺りが城跡になる。

・遺構はなにもない。


『略史』

・築城年代、岡本氏の在城年間、その後の歴史などは一切不明。

・大喜村の東北部にあったのでこの名称になった。

・張州府志によると、

 お城の規模は東西約54m、南北約43m程の広さがあり。


 
 
 

 

大喜田光城
 ①所在地 瑞穂区白龍町1

 ②年代   ?

 ③主な城主 新田氏、田光氏、森部氏の諸説があり。
 ④立地   平城

 ⑤遺構等 なし


『現況』

・城址とされる辺りは更地に

 書籍によると老人福祉関連施設がありと記載されているが取り壊し済。

 …マンション建設の敷地に。

・遺構はなにもない。


『略史』

・築城年代、存在期間とも不明。

尾張志によると、『田光ヶ池』という池があり…池はすでに消滅している

 その西側に村人が『しょうぐんやま』と呼んでいた場所にお城があったとの由。

・城主は、新田(四郎)氏、田光氏、森部氏の諸説がありはっきりしない。
・大喜村民家の西南、

 10㍍ほどの高さに地にあり、一辺が30㍍にも足らぬ小城だったようだ。


 
 

五郎丸屋敷

大喜田光城のすぐ近くにあったといわれる。

 …田子城とほぼ同じ位置ともいわれる…詳細??
 

・城主は大喜五郎丸というのが最も有力な説で、このあたりが熱田神宮社領だった

 ときに大喜氏は熱田神宮の神職を務めていたという由緒ある家柄で、この地にも

 屋敷を構えいた。

この場所が『五郎丸屋敷』と呼ばれる様になる。
・大喜氏の同族に『森部氏』という一族があり、

 大喜氏と森部氏は神宮の新屋敷(現・熱田区白鳥町)に移ったと伝わる。

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(付記)

「張州府志」には、

愛知郡大喜村(現・名古屋市瑞穂区)には、次3城があった記載されている。

 1.田光氏か森部氏が居城

 1.新田四郎が居城

 1.岡本久治が居城

 

「尾張志」では、

 1.大喜田子城

 1.大喜東北城

の2城であるとし、

もう一ヶ所は熱田神宮神官の守部氏の屋敷であって城ではないとしている。

 

(20,361歩)