東区舎人町(現、泉三丁目)町名の由来について | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

昨日(25日)、

名古屋市東区内、旧町名「舎人(とねり)町」(現・泉三丁目)辺りに行く。

 

実は、2015年3月10日にタイトル

東区舎人町(現、泉三丁目)町名の由来について 

としてブログしました。

そのブログについて、一昨日(24日)某様よりコメントを頂きました。

 

再度、「舎人町」についてブログするため訪ねました。

※内容は重複して記載した部分が多々あります。

 

 昭和38年名古屋市区分地図帖よりスキャン

 青の矢印で◇の場所が舎人公園です。

 この辺りは、昭和51年住居表示変更により泉三丁目に変更されています。


私「洋ちゃん」55年間「舎人町」から数分の場所、七小町に住んでいました。

「舎人町」あたりは馴染みの場所で、現在も度々散策しています。


最近は、早咲きの「さくら」が咲く場所として知られています。

 

舎人町の町名の由来について
・江戸期以来の町名。

・名古屋城下の武家町の一つであるが、道路沿いには町家もあったという。

・開発の始め、舎人八左衛門という武士の住居があったことによりこの町名がついた。

・また一説に、慶長年間藩祖義直が家臣の舎人某に命じて現地でつけさせたという説もある。                                   

                       (ひがし見聞録より引用)

以前(私の若い頃)、舎人町一帯には

芸妓の置屋さんが多々あり「中京祇園街」の名称で賑わっていました。

芸妓さんの稽古場もありました。 

(花街「中京祇園街」  昭和38年…当時、私は18歳)

 

現在はその面影はほんの僅か。

私は、当時の賑わいの様子を鮮明に覚えています

 

今朝、デジカメしてきました


かって「中京祇園街」として賑わっていた道路。

 都心(泉三丁目)にもかかわらず昔の面影を僅かに残る。

 町内の自治会は「舎人」を使用

「舎人…」と記した飲食店がありました。

 舎人公園です。

私が幼少の頃、この公園で野外映画・紙芝居等を楽しんだ記憶を鮮明に覚えています。


(追記)

2015年3月10日のブログより…コピーしました

故・愛犬ナナです…今年4月30日に死去。

可愛かった~~!!

懐かしいです!!