東区長塀町の町名の由来等…現在、白壁一丁目 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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名古屋市東区の町名の由来等について調べています。

今回は、

「長塀町…現在、白壁一丁目」についてです。

昭和55年(1980年)住居表示により長塀町の町名は消滅しています。


長塀町は、

私の出身中学校の校区内にあり、私には馴染みの町内です。

市電の電停があり金城学院の学生さんの多くが乗り降りしていました。

  

中日新聞の販売店の前に「長塀町の表示がありました。

私「洋ちゃん」所有の昭和28年版最新名古屋地図よりスキャン

現在の白壁一丁目辺りの地図


長塀町の町名の由来(ひがし見聞録より引用)

江戸期以来の町名。

もとは長塀筋といい、白壁町の北で同町に平行する東西の町。

長塀町の北側には藩の重臣(御付家老)成瀬・竹腰の中屋敷があり、

その裏筋が長く続いていたことから長塀筋と呼んだ。

中屋敷以外の両側には三百石前後の藩士の屋敷が立ち並んでいた。

現在、拡張された道筋は、基幹バスが走る幹線になっている。 

デジカメ

 

  基幹バス、白壁バス停方向

(付記)

名古屋市交通図の一部(昭和28年版最新名古屋地図よりスキャン)

  ↓ この地図よりスキャン

 

(20,595歩)

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(追加)

2024年5月28日に追加する

↓ネットより引用

地名の由来

白壁筋の北側を東西に通る長塀筋の名称に由来する。

この筋の北側には、尾張徳川家の重臣を務めた成瀬氏・竹腰氏の屋敷が所在し、

その黒塀が長く続いていたことにより、長塀筋と呼ばれるようになったとされる。

沿革

江戸時代は武家屋敷地につき町名が存在しなかった場所に、明治初年愛知郡長塀町として成立。

1878年(明治11年) - 弓箭筋を併合する。

    また、同年12月20日には名古屋区成立に伴い、同区長塀町となる。

1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市長塀町となる。

1897年(明治30年) - 名古屋陸軍地方幼年学校が開校する。

1908年(明治41年)4月- 東区編入に伴い、同区長塀町となる。

1913年(大正2年)3月 - 長塀町美普教会が名古屋第二美普教会と改称。

1919年(大正8年) - 敷島製パンが当地において創業する。

1923年(大正12年) - 名古屋陸軍地方幼年学校が廃校になったとされる。

1947年(昭和22年) - 名古屋通商産業局が設置される(1960年<昭和35年>まで)。

1966年(昭和41年)2月 - 横井也有ゆかりの茶室が南山大学に移築。

1980年(昭和55年)2月- 東区白壁一丁目・白壁二丁目・白壁三丁目・白壁四丁目・白壁五丁目

            ・三の丸四丁目・芳野一丁目・赤塚町にそれぞれ編入され消滅