那古野城(別名・柳の丸)址…(名古屋城二の丸付近) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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一昨日(18日)名古屋城二の丸辺りにあったといわれる

那古野城(別名・柳の丸)址に行く。
(私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)



 

那古野城(別名・柳の丸)は、

今川義元の父・今川氏親の築城によるといわれるお城です。

 

所在地 中区二の丸

立地   平城

年代  室町末期…大永二年(1522)頃

城主  今川氏豊(のち、織田信秀、織田信長、織田信光、林道勝)

遺構等 石碑、案内板(標札)


『現況』

城は名古屋城二の丸辺りにあったといわれる。

二の丸庭園の前に、空襲で焼け「那古」の2字のみしか読めない石碑が建つ。

城の遺構はなし

 

『略史』

今川氏親(今川義元の父)が、永正14年(1517)尾張守護の斯波義達と遠江(静岡県)で戦って勝ち、義達を尾張に送還した後、義達を監視する為に那古野城を大永2年(1522)築き、末子の今川氏豊を城主とした。

*当時は氏豊を「柳丸」と呼んでいた。


しかし、天文七年(1538)頃に、勝幡城に居た織田信秀(信長の父)に策略を設けて城は奪われてしまい、氏豊は京へ逃れさる。

 

その後、信秀が居城したが、天文3年に信秀は居城を古渡に移し、城は生まれて間もない信長に与えられ信長は弘治元年(1555)に清洲に移るまで居城した。
     
信長以後は守山城に居た信長の叔父・織田信光、

信光の死後は織田家の重臣・林佐渡守道勝などが居城したが、天正十年(1582)頃に廃城となる。


注)

今の名古屋城は、この城をもとにして作られたといわれる。

信長の生誕地は那古野城のほか、稲沢市の勝幡城も生誕地説がある。