猪子石城址を訪ねる…名東区神月町 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日(8日)

名東区神月町辺りにあった

「猪子石城跡」を訪ねてきました。

 

私「洋ちゃん」は古城めぐりに興味があります。

(※ 特に尾張の古城巡りを楽しんでいます)
この本を見ながら訪ねています。


猪子石城址について

立地 平城

   香流川の北岸に築かれ、東西約90m、南北110m、標高35mの規模で、

   かつては二重の堀をめぐらせてあったと伝わっている。

   廃城は1584(天正12)年の長久手合戦での焼失による。

築城時期  不明

築城者   横地秀次


現況(場所)等

・城址は月心寺と東に隣接する猪子石神明社の位置あたり。

・いずれもそれと分かる事物・文献はなし。

・周辺は開発が進みお城の遺構は見当たらず。
 

略史

戦国時代にこの地に勢力を持っていた横地氏の居城のひとつで、

城主は植田城(天白区)を築いた横地秀綱の子孫・横地秀次が築城

★植田城が横地氏の本家で、猪子石城は分家のお城。


城主の横地秀次について、

もともと室町時代前期に遠江小笠原郡横地村からやってきた天白・植田城の横地氏の子孫で、1522年(大永2)秀重(植田城主)の子に生まれる。

織田家の臣になって猪子石の地頭になり、猪子石城の主としてこの地を支配する。

 

秀次は、長久手合戦では池田恒興軍の案内役を勤めたため、徳川勢に城を焼かれ、

美濃国土岐群曽木村に落ちて行き、1615年(元和2)にその地で死んだとされる。



 

  猪子石神明社です。
  

   月心寺です。