「河村瑞賢宅跡」の名勝標札…中区丸の内二丁目(日銀交差点の北東・教授寺境内)№1 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、

中区内に建つ、

名古屋市教育委員会設置の標札巡りをします。

その一環として

 

今日(4日)教授寺境内中区丸の内二丁目、日銀交差点の北東)にある

「河村瑞賢宅跡」と記した名勝標札をデジカメ。

★地下鉄・桜通線、伏見駅近辺を散歩中に見つけた標識です。

 

河村瑞賢』について、帰宅後、ネットで調べました。

私「洋ちゃん」、全く知らない人でした。

土木や、治水、海運に詳しく、

 尾張藩に招かれ てこの地に住み、

  御用水や堀川等の水行の便について意見を述べたとの由。

※堀川について

 慶長15年(1610年)に福島正則により堀川開削工事に着手。

 ★名古屋城築城の着手も慶長15年(1610年)。

略歴ネットより引用)

・[生]元和3(1617).伊勢,鵜倉~[没]元禄12(1699). 江戸
・江戸時代前期の商人。海運,土木事業家

・瑞軒とも書く。

・赤貧のうちに幼少期を過ごし、のち車力を業とし,機略に富んでいた。

・明暦3 (1657) 年の江戸の大火の際,木曾の材木を買い占めて巨富を得た。


教授寺について(名古屋の史跡と文化財よりスキャン)

                        ↓…この部分です。

          濃国不破郡敷原村に、明応三年(一四九四)