「八剱社」についてです。
・本来は小高い丘の上にあり、遠くに熱田神宮の森が見える位置です。
・急坂で瑞穂台地のへり(縁…ふち)にあたり、神社の立地に最適な場所です。
・瑞穂台地の西半分はかって熱田神宮領であり、神宮にかかわる行事や風習が残っています。
・村社から郷社に昇格した8等級のお宮さんで
…津賀田神社と同格(宮司は尾陽神社)
・境内神社は
源太夫社・白山社・社宮司社で付近に祀られてあった社をまとめて祀っている…境内神社・・・本殿の右端にあります。
・天喜四年(1056)、熱田神宮の下の宮八剱宮から神を分け祀られ、新八剱
宮と呼ばれていたとのことが、社の由緒にあり、創建はこの頃とされる。
※約千年の長きに渡って、この辺り高田村の村者として鎮座している。
・明治44年高田上之切(現八剣町・太田町)に祀られていた、永禄7年(1564)に
勧請された無格社、熱田大明神を合祀(ごうし)し熱田神宮との繋がりが強くなる。
・学校・学区・町名にある、御剣は八剱社にちなんで付けられた。
八高・御剣小学校の校章は剣。
・鳥居に爆弾が当たった跡がある。
鳥居に爆弾が当たった跡。
赤矢印の部分。
境内は御剣八剣という「特別緑地保全地区」に指定されています。
・境内の保存樹クロガネモチは幹の太さから、市内では最も古い自然木。
左)保存樹・クロガネモチ (中)御手洗清水石 右)保存樹・クスノキ
※名古屋市瑞穂区史跡散策路に、
「庚申像を描いた掛軸が4幅あり、現在でも庚申講が続けられている」
と記載されている。
⇒社務所は不在のため詳細は???