昨日(16日)瑞穂区塩入町にあります、
「浜神明社」を訪ねました。
実は、私「洋ちゃん」来月の某団体の瑞穂区史跡巡りの案内で、
ここ「浜神明社」をガイドする担当する予定です。
その下見を兼ねて行く。
※「浜神明社」にはウォーカーの仲間の皆さんと何度も訪ねています。
再建 昭和15年
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
・昔はこの辺りを呼続の浜といい渡船場があった。
・東北、土居の浜には塩焼所があり神宮に塩を奉納していた。
…以前は、塩田もあり現在の「塩入町」の町名の由来ともなっている。
・かっては、八丁畷の中ほどにあり、
この社のある浜から伊勢神宮を拝むことができる
遥拝所(ようはいじょ)の用に供していたといわれるが
由緒は明らかでなく社格も無資格で極めて低いものであった。
…塩は伊勢神宮に供進されていたということで、ここに神明社が鎮座するこ
とになる。
・天白川の築堤後、田園となり、害虫を除き五穀豊穣を祈るため天照大神をまつった。
・明治41年(1908年)に津賀田神社に合祀されたが、
昭和15年津賀田神社から再び遷座し、浜神明社を現地に遷座(再建)された。
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・神道関係の碑として珍しい斗帳寄進碑(対のうちの一基は津賀田神社にある)
・境内には天正17年(1589)の刻銘がある市内最古の月待供養碑、
・西行の和歌を愛した者が作ったという西行腰掛石がある。
(伊勢神宮への)斗帳寄進碑
石塔の内容は伊勢皇太神宮と道中安全を彫ってある。
“サク”・・・月待ちの本尊勢至菩薩
“バイ”・・・毘沙門天
“カーン”・・・不動明王
いずれも護法神である。
“キャカラバア”・・・五輪塔の意である。
“愛智群分野”・・・現在の南区桜本町一丁目付近に当たる。
※ 月待碑
月待の共同祈願を行った記念として月待碑を建立することを中世期に始まった。
中世末期になって庶民の間に地蔵信仰がひろがり石に刻んで村境や辻においた。
月待ちは十五夜、十七夜、二十三夜などに行い、旧正月・5月・9月の二十三夜が特に盛ん。
※東海道八丁畷に位置し、熱田神宮に近いことから、
神宮二十五丁橋と西行の伝説などにより、旅人などの多くの人目を引くように作られたと思われる。
寄贈者、
・柴山藤蔵さんは清洲の人で江戸末期から明治初期にかけての米商人。
多くの石碑を寄贈している
・杉屋佐助さんは「柴山藤蔵」さんと共同寄進の石碑も多々ある・・・略歴は???
(付記)
八丁畷(はっちょうなわて)
・宮の宿から東海道の山崎橋あたりまでの間、江戸時代の東海道は
八丁に渡って松並木が植えられ、
小坂の多い、昼も寂しいところといわれていた。
・海上から遠望すると一筋の縄に見えるから、八丁縄手といった。
八丁畷について、
2013年9月28日にタイトル「明治天皇覧穫之図と東ノ宮神社・八丁畷 」としてブログしました。
こちらも是非ご覧ください。
朱矢印28の場所が浜神明社です。
浜神明社の前にて