私「洋ちゃん」は東区に住んでいますが、
瑞穂区内の某グループの歴史の会に所属させて頂きながら、
瑞穂区内の史跡巡りを楽しんでいます。
今回は、瑞穂区東栄町5丁目にあります「八幡社」についてです。
昨年(平成24年)に、
社殿修復工事の準備中に社殿の中から「木札」が発見されたそうです。
※古くは、元禄時代のものから、昭和に至るまでの6枚。
「木札」から八幡社の歴史が解明されています。
(東栄)八幡社について
①名古屋市瑞穂区史跡散策路より引用
祭神は応神天皇(第15代天皇…200年?~310年?)
「尾張旬行記」に、
熱田社家・粟田宮部太夫支配とあり、当時は一反十二歩あったと記載。
毎年1月に五色弁財天祭がある。
②手持ちの資料より引用
創建…不詳
「木札」より本願寺外新田八幡宮として元禄時代に創建さていたと解明。
例祭…10月中旬
このあたりは、本願寺村から独立し本願寺外新田といわれた。
「尾張旬行記」より
①新田には、尾張藩士・寺尾土佐守が与えたあとに15軒が住み始めた。
以来、この地名を十五軒屋という。
元禄9年の木札から、15軒のうち4軒の姓名が判明している。
②熱田社家、粟田宮部太夫支配とある、御師でもある津賀田神社の支配。
粟田宮部太夫は、元禄時代の熱田神宮の神主であり、
この時代に本願寺外新田八幡宮は、熱田神宮の支配下にあった。
東栄町のルーツ
元禄七年(1694年)尾張藩の縄入(検地)により誕生した、
本願寺外新田→十五軒家→字東ノ割→東栄町である。
東栄町の町名の由来
昭和9年(1934年)南区瑞穂町の一部より成立。
町名は、瑞穂町字名の「東ノ割」による。
また、塩付街道の東の方から発展し栄えたところの意味からこの町名がついたとされる。