明神社(中村区東宿町一丁目);萱津の東宿跡;萱津の渡しについて | 「洋ちゃん」のひとりごと

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今月(6日)

私「洋ちゃん」中村区内の史跡巡りを楽しんでいます。

明神社(中村区東宿町一丁目);萱津の東宿跡;萱津の渡しについて

 

先日、

明神社(中村区東宿町一丁目)を訪ねました。

 

明神社(みょうじんしゃ)について

↓ネットより

所在地 名古屋市中村区東宿町1丁目57 地図
創建年 不明
旧社格・等級等 指定村社・十二等級
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
その他 例祭 10月12日


約800年前の鎌倉時代、萱津の東宿としてこの辺りが栄えた頃に部落の
鎮守として祀られた。

建暦~貞応年間(1211~1224)に熱田神宮摂社日本武尊を奉斎し創建された。

  由緒書

 

   蕃塀(ばんぺい)…昭和2年(1927)製作

  (注)蕃塀は神社の拝殿の前にある衝立状の塀です

 社殿…平成8年に屋根の葺き替えが行われた。

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神社のの南側を京都と鎌倉とを結ぶ鎌倉街道が通っていた。
鎌倉街道は別名「小栗街道」とも呼ばれた。

※江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎で人気を集めた「小栗半官」がこの街道を舞台にして語ったことによる。

(付)中村区「東宿町」や「宿跡町」は昭和8年に誕生しているが町名の由来となっている。

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名古屋市教育委員会設置の

名勝標札が庄内川、枇杷島緑地に設置されている。

萱津の渡し
・萱津の宿駅は、

 中世の頃にぎわいをみせた宿場町で、

  鎌倉街道はその出郷である東宿から露橋、古渡へ通じていた。

・萱津の渡しはそれよりも更に古く

 承知2年(835)の大政官符に萱津の渡船を増やして三艘としたとの記録が残っている。

土地の人は、この渡しをいつの頃からか、日比津の渡しと呼ぶようになった。

・大正の初め、木橋の大正橋ができるまで、街道の往来に大切な役目を果していた。

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明治24年の測量図より

赤線が鎌倉街道(中村区の部分のみ)


明神社のすぐ南側の道路  西方面      東方面

 尾張名所図会より

 

(付)

明神社のオコワを奪う奇祭について

・昔、愛西市の勝幡神社とともに「オコワ祭」が行われていた神社として有名。

・オコワ祭は「こわめし(もち米)」の入ったお櫃を奪い合う祭

  ⇒西尾張地方の祭り

・昭和10年頃より裸で行うようになったので”裸祭”と呼ばれ「ミニ国府宮裸祭」

 と言われた。

・1996年(平成8年)の祭を最後に現在は開催されてない。

 (少子化で厄年の参加者が激減した事が最大理由)