先日、千種区平和公園の墓地内、乾徳寺墓域にある
赤穂浪士47士の一人「片岡 源五右衛門の墓」
へ「平和公園に眠る偉人たちの墓碑めぐり」の一環で行ってきました。
片岡 源五右衛門(かたおか げんごえもん・1667年生~1703年没)について
・赤穂四十七士の一人。
・尾張藩士熊井重次郎の二男として生まれ、
浅野家の家臣片岡六右衛門の養子となった。
・そして藩主浅野内匠頭の小姓頭を務めた。
・47士では大石内蔵助に次いで、家禄の高い武士。
・赤穂藩断絶後同志達と吉良上野介を討取り(仇討ち)、元禄16(1703)年泉岳寺
において切腹を命じられた。(乾徳寺墓域)
※ 一部、名古屋市千種区史跡散策路より引用
(付記)
乾徳寺(けんとくじ)は中区にある曹洞宗の寺院。
山号は雲龍山(うんりゅうざん)。本尊は木造阿弥陀如来坐像。
1973年(昭和48年)11月に広小路通に面する雲竜ビルが竣工するなどして周辺の様相は大きく様変わりし、2015年現在では寺はビルに囲まれるように存在している。
(ネットより引用)
矢印が「片岡 源五右衛門の墓」です
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先月26日にタイトル「「平和公園の散策・眠る偉人たちの墓碑めぐり」に参加尾張藩七代藩主 徳川宗春公の墓碑 」としてブログしました。
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