「猫ヶ洞池」を訪ねてきました | 「洋ちゃん」のひとりごと

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先日、

千種区の東部にあります「猫ヶ洞池」を訪ねてきました。

この辺りは平和公園の一部でもあります。

私「洋ちゃん」、久しぶりに訪ねました。


 

猫ヶ洞池は、
・尾張徳川家、二代目藩主徳川光友 の命令で

  農業用ため池として作られたもので、

   寛文 四年(1664年 )に上池が、

   寛文六年(1666年 )に下池(下池は別名大池とも呼ぶ)が完成した。

(途中から上池と下池は並列で施工されたと推察されている)

 

・昭和10年頃に下池が埋め立てられ、上池のみが残っている。

 

・江戸時代 にはここを水源とする猫ヶ洞用水(山崎川)が作られて御器所方面 

 (昭和区、瑞穂区、千種区)の灌漑用に使われたほか、「里山」としても深く人との

 関わりをもった大切な森だった。

 さらに、

 大曽根屋敷(現在の徳川園 )付近にもここからトンネルを掘って水を供給してい

 たという。

・現在、猫ケ洞池の許容量を越えるとその余剰水を従来通りベルマウスから

 香流川へ流れるように太い排水路が設けられ放水している。

 (想定される、概ね10年に1回の大雨災害に備えている)


 

水が一定量以上になったらここから自動的に溢れてゆくいわゆる「洪水吐き」の一種で、上向

きの朝顔のような形状でグローリーホール(ベルマウス)と名づけられている(ネットより引用)


猫ヶ洞池名称について、

池が作られた当時この地は「金子山(かねこやま)」と呼ばれ、明治頃まで、この周辺を「金児硲・金子狭間(かねこはざま)」と呼んでおり、それが転じて「金子」がつまって「猫」になったという説もある。

                         (以上、ネットより引用)
 

  池のほとりにある石碑です。
 

   石碑をバックに

       

         猫ヶ洞池です
     

池の周囲3分の2程度はコンクリート護岸で階段状に整備され、その部分は釣り人に開放されている。
  

  グローリーホールを堤(高台)よりデジカメ

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 明治24年の地図をスキャン、赤矢印が猫ヶ洞池

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私、所有の「尾張名所図会」に描かれている猫ヶ洞池をスキャン
  




左)猫ヶ洞池について

  尾張名所図会に書かれています。

末盛むらの東北にあり寛文年中

これをかりて田にそそぐ用水となす

 

以後の詠みは???です。

 

 左端にある句は詠めました。

 「行く年の 廿九日も 子(ね)の日かな」

    ※井上士朗の句です

 

江戸時代、中期~後期にかけての尾張の俳人

井上士朗が、年の暮れ12月29日に猫洞池に遊んだときの句と思われます。