秋葉山 一乗院(東区泉三丁目9-5) | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

東区泉三丁目9-5(旧、鍋屋町筋)にお寺「秋葉山 一乗院」があります。

今朝、早朝に散歩で赴く

      

・私「洋ちゃん」現在の居所に引っ越す前はこのお寺の近くに住んでいました。

・懐かしい思いを抱きながら度々この近辺に出掛けています。


秋葉山 一乗院は

・10数年前に本堂、母屋の建物は取り壊され、

・現在の敷地は駐車場、奥に建て直された小さな御堂と左側に石碑、お地蔵様のみで

 以前(昔)の面影はほとんどなし。

 

私は、

取り壊し前の空襲で焼け残った本堂・母屋の姿を覚えています。

 

秋葉山一乗院の由来(東区文化のみちあれこれ№4を参照ー抜粋)

・真言宗醍醐派で本尊は不動明王秋葉大明神。

・江戸時代から鍋屋町筋には清須越で、

 鍋釜の鋳物師水野氏、

 御釜師加藤忠三郎氏が移り住み「火」を使う職業が多く、

 「火の守り神」としてこのお寺が建てられたとの由。

  …鍋屋町の秋葉様ともいわれるようになる。

 

昭和20年3月の空襲時にこのお寺と100m程西の民家が焼け残ったとの事。

 

秋季例大祭が年1回10月16日に町内で催され、

札幌市に引っ越された住職が出向いてこられるとの由。

 

デジカメ…A.M6時40分頃写す

鍋屋町町内会寄進の旗が立っていました。

明日、16日の秋季例大祭のためと思われる。
       

御堂
 


御堂と左側にある石碑、お地蔵様等


(付記)

尾張藩鋳物師頭 水野太郎左衛門宅跡】
   初め上野村(現市内北東部)の鋳物師であった水野家は、永禄五年(1562)初代太郎左衛門のとき織田信長により尾張国中の鐘、鰐ロ(わにぐち)等を鋳造する特権を与えられた。文禄二年(1593)二代のとき清須へ、慶長十六年(1611)三代のときこの地へ移り住んだ。江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々務め、国内の鋳物の製造・販売はすべてこの家を経た。
 市指定文化財の性高院(しょうこういん)(千種区)や東別院(中区)の梵鐘(ぼんしょう)は同家の作品である。
名古屋市教育委員会の標札から転記

 


 

御釜師加藤忠三朗家之略記】  

 永禄の頃より守山村に住し、慶長六年、藩主に召され清須に移る。更に同十六年には名古屋城築城がなり、御城本丸より、約一粁ほど隔てた当地に尾張藩鋳物師棟梁、水野太郎左衛門家と共に、藩許の鋳物師として藩の御用を努め、五代目のおり、御釜師として、苗字、帯刀、上下着用を許され、八一の定紋、纏と挑灯等も賜り、御城に大事の時は、本丸に参じる事の御下命を受ける。
 それより代々当地にて茶の湯釜等を製作し現在に至る。
 御釜師 十二代 忠三郎 記 平成十年三月

 

(20,106歩)