昨日(3日)
訪ねた徳川美術館での企画展「徳川宗春」で、
宗春ゆかりの地として、
東区葵、代官町一帯にあります御下屋敷跡を紹介されていました。
今朝、散歩で御下屋敷跡訪ねました。
このあたりまで我が家からゆっくり徒歩で20分もあれば行けます。
東区生涯学習センターの入口に御下屋敷跡の案内看板がありました。
「御下屋敷跡」について調べる。
・現在の葵一丁目から代官町にかかる6万4千坪の広大な敷地に造られたのが「御下屋敷」。
・尾張二代藩主光友が造った藩の別邸で、1679(延宝7)年に建設された。
・庭園は和風の回遊式で、江戸の尾張藩江戸屋敷と同じような造りである。
八代将軍吉宗と対立して
この屋敷に蟄居謹慎となった第七藩主宗春はこの屋敷を好み余生を送る。
・1782(天明2)年の大火で屋敷や庭園のほとんどを焼失し荒廃していった。
・明治になり、屋敷地一帯の建物は壊され、売りに出された。
・しばらくは、広域な土地に買い手がつかず、畑や小山が大正期まで残されていた。
東区生涯学習センターの入口に「御下屋敷跡」の案内看板があり。
現在の地図に重ねた「御下屋敷」の図。(ひがし見聞録より)