中根学区地内で発見された「中根銅鐸」について | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

昨日(14日)瑞穂区某史跡案内の会の皆さんと中根学区を訪ねる。

雨天で冷たいなかでの散策。

 

その中、

中根学区地内で発見された中根銅鐸についてのブログです。

 

銅鐸は、

・弥生中期から後期にかけて鋳造されたと言われ、近畿地方を中心に島根県から静岡県まで

 の地域に分布。

・名古屋市内では数例しかないが、中根銅鐸は大ぶりであり特に有名。

 

中根銅鐸は、昭和59年(1984年)文化庁から重要文化財の指定を受ける。

 

銅鐸の用途、

・現在のところ用途は未だ定かではないが、楽器で音を鳴らすことに使っていたこん跡が

 あるものもある。

中根銅鐸は大型であり神器として扱われ、飾りか祭祀のため使われたのではないかと

 想像されている。

 

銅鐸の発見場所、

・土器や石器などが発見される住居跡でもなく銅製の用具が発見される墓の跡でもない

・集落から離れた丘や山の麓で、地中に埋まった状態で発見されている。

・祭祀の用具に不要になり、地中に埋めて捨てたとも言われている???。

 

中根銅鐸発見地でデジカメ(瑞穂区軍水町二丁目)

名古屋市教育委員会設置の名勝標札



  

  中根銅鐸です。

中根銅鐸は三遠式の末期のもので、中央の縦帯が雷文、左右の縦帯はなく、袈裟襷の内区は細かな連続渦巻文で埋め尽くされるという特異なデザインで、数ある銅鐸の中でも異色かつ美麗なもの。

 

中根鐸出土地付近の弥生集落としては西へ2kmの場所に弥生中期後半~後期に栄えた瑞穂遺跡がある。

 

中根銅鐸のまとめ

・明治3年(1870年)現在の瑞穂区中根町で里道改修工事中に偶然発掘される。

・以後、地元の郷倉内に保管される。

・明治7年(1874年)東別院での博覧会に出陳以後、東別院の納められる。

・その後、本山に寄附され名古屋から姿を消して行方不明となる。

・昭和2年(1927年)に売立に出され

現在は兵庫県西宮市の辰馬考古資料館が所蔵。

 

「中根銅鐸発見の歴史」

について中根小学校の北西角にある標札をデジカメ



中根小学校の

この入口の中に模造品

  が展示してあります


 

 

 

「洋ちゃん」のひとりごと  

瑞穂区中根小学校玄関に展示してある‘中根銅鐸”の模型。

 

〈追記〉

銅鐸について…別の資料をスキャン
「洋ちゃん」のひとりごと


「洋ちゃん」のひとりごと