今月「堀川」に関する講演を2回聴取してきました。
1回目(11月 2日)名古屋都市センターにて、タイトル「納屋橋100年と堀川」
2回目(11月17日)中区役所にて、タイトル「堀川誕生」
私「洋ちゃん」は68年間、名古屋育ちです。
子供の頃の堀川の悪臭、汚れはひどかった・・・。
近年は水質は浄化され、堀川端(筋)の環境は整備されています。
その変貌ぶりに驚くと共に嬉しさ(喜び)も・・・!!
(講演の一部要旨です)
・納屋橋がハイカラな姿で登場して100年を迎えた。
…広小路や堀川端を行く人人々の憩いの場となりつつある。
・名古屋城築城(名古屋遷府論)
①清須は尾張平野の平城で籠城が困難
…規模が小さく豊臣との決戦で籠城が困難
②清須は周囲が低湿。
③清須を流れる五条川の氾濫、城下の被害がたびたび。井戸水が不足。
④将来の発展を見据えた城下町を建設する必要。
・遷府候補地・・・①那古野台地、②古渡、③小牧山
那古野台地に決める…台地の西端、北側が高い崖、
水害の心配なし
清須より広大な土地等
・堀川の開削・・・開削当時は今の朝日橋の処で堀留になっていた。
・生みの親・・・福島正則
※福島正則は名古屋ではあまり知られていないが名古屋発展の基礎を築く。
①名古屋城の防御線として開削
②名古屋築城の資材を運ぶため開削
③城下町への輸送路として開削
・堀川の歴史
・城下への輸送路、
祭りや舟遊び、花見などの
憩いの場所として名古屋の産業やひとびとの暮らしを支えてきた。
・明治以降に、名古屋が産業都市になり人口が増加するにつれ水質が悪化。
・近年、堀川の輸送路としての役割はなくなり、水質浄化に努め新しい時代に
向けた時を迎えている・・・。