今日(23日)瑞穂区某史跡の会の皆さんと
東ノ宮神社→旧東海道→山崎川河畔→秋葉・金比羅神社
→井戸田薬師道標→山崎橋
を訪ねてきました。
コースです(瑞穂区史跡散策路をスキャン)
東ノ宮神社→先日、21日にブログしましたので由緒等は略。
旧東海道→ブラザー関連の建物ばかり、昔の面影なし。
下にスキャンした明治中頃の地図を参照。
明治中期の東海道です(名古屋市文化財叢書第91号の地図をスキャン)
山崎川河畔→このあたりは昔、海上運搬船が運航。
秋葉・金比羅神社
→瑞穂区河岸町の有志により、堤防上に建てられた神社。
現在の社殿は昭和4年に修築され更に昭和54年6月に修理造営が行なわれた。
山崎川畔にあるので、かっては渡海の安全を祈るため金比羅宮を祭り、住民を火災から守るため、秋葉社を勧請した。
井戸田薬師(やくし)道標➡赤矢印
(山崎橋の瑞穂区側の「河岸どんぐり広場」中にあり)
道標には「是より井戸田薬師四町半」と刻まれています。
(注) 井戸田薬師とは…(現)龍泉寺(瑞穂区井戸田町4-90)
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↓ 尾張名所名所図会に描かれている「山崎橋」
※戦争中、橋に爆弾が落ち燃える。
その橋の親柱(4柱)をデジカメ
1.上記、井戸田薬師(やくし)道標➡白矢印
2.山崎橋を渡り左角にあり(饅頭屋、吾妻屋の脇)
★爆弾直撃し一部が欠ける
3.山崎橋を渡り右へ20m行った秋葉社の脇
4.最経寺(瑞穂区井戸田町4-89)も門前右
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山崎橋から東南方向
戦前は4軒の醬油屋があり。
名古屋港方面から、船で大豆を運び陸揚げしていた。
その際、川原に生えている竹の筒に箸がさしてあり、大豆の1俵を運ぶたに、それによって俵の数を数えていたとの由。