先日(8日)北区平手町二丁目(志賀公園の中)のあります、
「志賀城跡」を訪ねました。
(現在、私「洋ちゃん」が楽しんでいる古城巡りの一環で訪ねました)
志賀城は、
・室町後期の築城で城主は平手政秀。
・織田信長の守役(教育係)を務めた、平手政秀の屋敷があったと伝わる。
・古記録(尾州古城誌)に志賀城(または西志賀城)があったと記載されている。
・城館はかなり豪邸でその造作は立派であったと記されている。
江戸時代にはまだ堀跡が残っていたが、次第に近在の農民に開墾されて田園地帯になってしまいました。
平手政秀は、
・うつけものと呼ばれていた織田信長の奇行を諌(いさしめる)ために自害した
とされているが、真偽は諸説ありはっきりしない。
・政秀は美濃と尾張が同盟を結ぶ際、みごとその橋渡し役を果たし、斉藤道三
の娘である帰蝶(濃姫)を織田家に嫁がせることに成功させた張本人といわて
いる。