一昨日(12日)
中村区岩塚町にあります「遍慶寺」を訪ねました。
このお寺の境内はもと‘岩塚城”があったところです。
岩塚城は、
吉田氏の代々の居城であったが、
慶長5年(1600年)時の清須城主福島正則によって滅ぼされといわれている。
(中村区史跡散策路を転写)
吉田氏について…(ネットより転写)
尾張守護・斯波氏の一族である吉田治郎左衛門重氏が岩塚を築城し、子の守氏が居城した。
斯波氏滅亡後は、守氏の子の元氏が織田氏に仕えた。
元氏は、永禄11年(1568)信長の伊勢大河内城攻めに参戦して討死した。
元氏の子・九郎左衛門は、織田信勝に仕えた。
※ 私「洋ちゃん」のひとりごとです
今回は、岩塚城跡、
11月 4日に稲葉地城、
10月18日に日比津城…についてブログしました。
いずれも、中村区域にあるお城です。
室町時代の終頃(戦乱の時期)に、
清州を中心とした尾張守護代の織田家一族がこの地域を(遠州)今川からの攻撃から防ぐ重要な地となったのでは???
左)遍慶寺の門前左にある‘岩塚城跡”の石碑です。
下)門前の両側の木について
・・・右のイブキは区内保存樹指定第一号。幹回りは2.3mにまで及ぶ
左の木です。 門前、右の木です
遍慶寺付近の地図です。
岩塚城の略史です。