山吹台の図(沼田朴斎の筆) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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昨日、

床の間の掛軸を替えました。

沼田朴斎着色 山吹谷の画です。

             (私の収集品です)
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軸の全景です。

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人物の部分です。                 歌の部分です。
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 表の箱書です(沼田朴斎着色山吹台図)
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                (石河)有麟の書付です。

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*下の画は‘尾張名所図会に描かれている山吹谷”です。

                    (ネットからの写です)

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                     着色した画

この絵は、尾張名所図会に描かれた、かつての東区東片端町・橦木町付近の風景です。

現地は武家屋敷町となる前は、山吹の谷と呼ばれる景勝地でした。

山吹の谷のことを尾張名所図会は「いまもなお、山吹のところどころにのこれるは、昔の面影ぞかし」と記しており、幕末に尾張名所図会が描かれたときは、すでに山吹谷は武家屋敷町でした。
周辺は今でも高低のある地形で、山吹谷公園の東側はゆるやかな坂となっています。

当時は今より起伏に富み、谷には清水が流れ、雑木の間に山吹が多く、春の終わり頃、一面山吹が咲いたことから、山吹の谷と呼ばれるようになりました。
当時、山吹谷は春の終わる頃になると、人々がお酒やご馳走をもってこの谷を訪れ、谷の清流や丘に山吹の咲き乱れる風景を楽しみ、うたいおどる行楽の地。

この尾張名所図会はその酒宴の様子を描いたものです。
現地は都市高速道路が走りビルが建ち並んでいますが、一歩通りを入ると閑静な住宅地で、大正から昭和初期の貴重な建物が数多く残っており、町並保存地区に指定されています。
今、現地を訪れても「山吹」という地名はありませんが、小学校や公園の名称として残されています。
なだらかにのぼり下る坂道は、かつて景勝の地と賞された山吹谷のおもかげを伝えています。

                    (財団法人 名古屋都市センターの記事より写)
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⇒平成29年2月8日にN博物館へ寄贈しました。