名古屋市東区七小町と七箇寺 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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名古屋市東区七小町(ななこ・まち)について調べました。

 

もとは鍋屋町裏といって鋳物師の細工場などがひしめいて町名はなかった。

明治4年(1871)七箇寺(高岳院善光寺養蓮寺遍照院普蔵寺正覚寺(のち円通寺墓所)・東漸寺)の七箇寺の門前を併せて七箇町と命名された。

"箇"の字 が"小"にすりかえられたのはいつごろかわからない。

 

 

次に、七箇寺について。

①.普蔵寺
普蔵寺は祥景山と号します。

名古屋市昭和区高峯町48
以前は、名古屋市東区七小町(元は東寺町)あり。
萬松寺の末寺です。

元は名古屋村にありましたが、名古屋城築城の折りに七小町(現在の東区泉)に移りました。

普蔵寺は慶長の初め頃、御鷹部屋の南(現在のウェスティンキャッスルホテル周辺)に浄安瑞清大和尚によって開かれました。
昭和20年、名古屋大空襲により焼失したため、
昭和48年現在地に移転しました。

 

②.善光寺

名古屋市東区筒井1-14-30 

足利義満将軍の時代、嘉慶2年(1388)黒田合戦により当寺は廃滅し、愛知郡名古野村(現名古屋市西区幅下町)に移転したところ、慶長遷府の折(家康の九男、徳川義直が尾張藩主となり慶長15年城を清州より名古屋に移転した時)、名古屋市東区七小町(当時東寺町という)に移されました

太平洋戦争の空襲により焼失し、昭和28年(1953)に至り戦後復興のため現在地に移り、本堂、庫裡を全部新改築して本格的復興をみました。

 

③.養蓮寺

宏綱山 養蓮寺【ようれんじ】

名古屋市千種区池上町2-10

七小町・昭和初期まで
(京都知恩院末)(浄土宗鎮西派)(阿弥陀如来)

 

④.遍照院 

名古屋市東区泉2-19-23

毘沙門天)(元和年間(1615)江戸)(京都知恩院末) (阿弥陀願所6番)(名古屋百観音65番)(府下地蔵5番)(府下六地蔵)

 

⑤.高岳院

名古屋市東区泉二丁目21番17号

持名山菩提心寺高岳院。
初め甲斐国新府にあって教安寺と称した。

慶長13(1608)年、家康の命により平岩新吉が、仙千代(家康の第六子、藩祖義直の舎兄、法名高岳院殿)菩提のため、清須城外に移転し高岳院と号し、家康尊崇の寂誉呑宿(教安寺八世)を開山とした。

同16年、城を名古屋に遷す際、現在の地に移る。爾来国守は代々黒印を納め諸堂を修築したが、今回の戦禍により国宝山門(清須城黒門)を始めことごとく焼失した。

昭和31年本堂、本年には書院、庫裡を再建。
寺宝には徳川秀忠文書、平岩主計頭新吉の黒印等がある。檀徒には、通し矢の星野勘左衛門、絵の小田切春江、陶の平沢九郎等がいた。


⑥.正覚寺(のち円通寺墓所)

調べましたが、現況については…???。

正覚寺(のち円通寺墓所)…熱田区へ移転…確認できず???》

 

⑦.東漸寺

調べましたが、現況については…???。


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