井上士朗の画賛と句《士朗 その1》「あくまでも 閑(のど)かに出たり 冬の月」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

「洋ちゃん」のひとりごと

 人生いろいろ楽しもう

井上士朗・句・画賛の掛軸です。

        先日まで掛けていました。

(私の収集品です)
「洋ちゃん」のひとりごと 「洋ちゃん」のひとりごと 「洋ちゃん」のひとりごと
句の読み
「あくまでも 閑(のど)かに出たり 冬の月」

  あくまでも=どこまでも。

        じゅうぶんに。 

  閑(のど)か=気持ちがゆったりしているさま。

        静かなさま。

        悠然。

 

この句は、井上士朗の「枇杷園句集」巻之四・多月に記載されています。

 

井上士朗について

初号支朗。別号,枇杷園,朱樹叟。尾張(愛知県)守山の人。

名古屋新町の町医井上家の養子となり,3代目を継ぐ。

通称正春、医の号は専庵。俳諧を加藤暁台,国学を本居宣長,絵画を勝野茫古,

平曲を荻野検校に学び,医者としても城下一の評判があった。

俳諧では,「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と俗謡にうたわれ,夏目成美,鈴木道彦

と共に寛政三大家のひとりとして重んじられた。

編著は『枇杷園句集』(1804),『枇杷園句集後集』(1808),『枇杷園随筆』(1810),

『枇杷園七部集』(1~5編)に収められる。

 

 七十一歳で没。
「洋ちゃん」のひとりごと