諸福天満宮から古堤街道を西へ | かかしんぼうぶらり散歩

かかしんぼうぶらり散歩

ここまでよく飛んで来たな
そろそろ降りる場所を見つけないと

かかしんぼうぶらり散歩

 

 

散策続きです。

かかしんぼう股旅姿で古堤街道を西へ。爆  笑

 

諸福天満宮を出て古堤街道を西の方へ行きました。

昔の街道の跡が残っているといいなと、思いながら

行って見ました。

 

街道に入るとすぐ隣にお寺があります。

塀に標柱が埋め込んであります。

浄土真宗・本願寺派

法報山

乗得寺と刻んであります。

立派なお寺です。

右に堂があります。

地蔵尊です。

中を見てみましたが扉は閉まっていました。

 

山門です。

このお寺は山門を開けていないので、

中に入ることは出来ません、残念です。

ネット調べても詳細は出て来ません。

 

 

更にミニ自転車を漕いで行くと、古そうな

建物がありました。

おっレトロ感のある建物 ポーン

当時の面影を残したような板塀です。

 

これはいい雰囲気です。

街道といったイメージがあります。

股旅姿が似合いそう。

何屋さんでしょうか。

 

後から撮りました、

ほんとに江戸時代のような建物です。

タイムスリップしたみたいです。

凄い建物です。

一番端です。

基礎に石積みがされています。

道路も街道といった感じがあります。

先に進みます。

幟が立っていました。

諸福天満宮の幟です。

随分と遠くで立っています。

この辺も諸福の地域ですね。

 

 

また少し進むとお堂が見えました。

ここは西諸福子安地蔵堂です。

西諸福地車保存会の幟が立っています。

 

赤い涎掛けをしたお地蔵さまが三体

安置されています。

保存会の人がお世話されているようです。

 

 

 

ここで発見、古堤街道マップ

大東市教育委員会が建てられたものです。

古堤街道案内マップ(1)です。

 

古堤街道(1)

古堤街道は、大阪の京橋から旧大和川や寝屋川の堤防上を東に進み、河内平野を横断して奈良へ向かい街道です。享保21年(1736)刊行の」「五畿内志(ごきないし)」には「中垣内越(なかがいとごえ)」や古堤路(ふるづつみじ)」と記され、明治以降に「古堤街道」と呼ばれるようになりました。

起点は、現在の京阪京橋駅構内にあたる京街道との分岐点で、当初は「ならみち」と呼ばれる旧大和川堤防上を進んでいました。明暦(めいれき)元年(1655)に現寝屋川筋の徳庵井路(とくあんいじ)が開削されると、「徳庵堤」と呼ばれる堤防上を進むようになり、徳庵、中茶屋(なかのちゃや)を経て市域の諸福へと至ります。諸福から太子田付近にかけては

北川低地との高低差が2mあり、堤防上の道であったことをよく示しています。

沿道には、新開地(しんかいち)の伝説を持つ白龍社(はくりゅうしゃ)、本殿が市指定文化財の諸福天満宮、五百羅漢(ごひゃくらかん)で有名な勝福寺や、天保2年(1831)のおかげ灯籠、元治2年(1865)の道標、樋門建設祈念碑など、多くの文化財が残されています。古堤街道は、寝屋川の水運と共に大東市の発展にはかかせない主要な街道でした。

平成22年2月   大東市教育委員会

 

 

この日はここでUターンして我が家に戻りました。

 

少しは街道らしいものが見られました。

この続きは叉いつか行って見たいと思います。

 

今日はこれで終わりです。

 

実はこの街道はマップの勿入淵址碑

(ないりそのふちあとのひ)

まで行って引き返した事があります。

 

最後までお読み下さりありがとうございました。