四條畷神社と楠木正行公 | かかしんぼうぶらり散歩

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今朝の生駒山
今朝も雲が掛かっています。
白い空です。
 
梅雨入りしそうで、しない日が続きます。
天気予報とは合わないです。
 
 
昨日は久しぶりに電車に乗って散策に
出掛けました。
JR学研都市線の最寄駅から電車に乗ります。
 
最近は夏モードの暑い日が続いたのであまり外出した
ことがありませんでした。
 
昨日は以外に湿度も低くスッキリとして心地よく
気分転換に出かけました。
 
行先は大阪府四條畷市にある四條畷(しじょうなわて)
神社です。
再訪問です。
大体の位置は下の通りです。
 
ではこれから道中を含めて紹介して行きます。
四条畷駅です。
ここで下車して四條畷神社まで歩きます。
 
「条」は「條」の略字です。
戦後「条」が当用漢字(現・常用漢字)に指定されたため、
「四条畷」と表記されることがあります。
電車を降りて駅の外に出ました。
前が四条畷駅です。
踏切の正面から撮っています。
小生は駅の右に出たので線路沿いの側道を
歩いて踏み切を渡り反対側に出ます。
 
これから長い参道商店街を歩いて四條畷神社に
向かいます。
 
散策ルート
 
踏切を渡りこの道を真っ直ぐ歩きます。
神社は前に見えている山の裾野です。
道はずっと勾配になっています。
駅から約30分位歩きます。アセアセ
 
そして踏み切りから後ろに振り向くと
大きな木が見えます。
実はこの森は以前ブログで紹介した、
楠木正行公御墓所です。
ここでは説明は省きます。
 
下記に投稿した記事をリブログしました。
ご興味のある方はよかったら見てください。

 

帰りにこの墓所に寄って見ました。

すると墓所内の剪定作業が行われていました。
 
 
剪定が行われているのでサッと見て出ました。
入口の内側から撮りました。
クレン車が見えます。
境内の中でも剪定作業中でした。
 
話を四條畷神社に戻します。
 
商店街を歩いて行くと一ノ鳥居が見えて来ました。
令和3年9月に新しい鳥居に取り替えられています。
一ノ鳥居を越えて進むと前方に二ノ鳥居が見えて来ました。
やっと着いたと思い下山されて来た方に神社を訪ねると、
まだまだ先ですと言われました。
鳥居の向うに長い石段があると言われていました。
小生は以前一度行っているので記憶はありますが、
確かにしんどかったです。
 
ちょっと休憩してから石段を上がります。
ふう~とため息が出ます。
石段の前に建っている石柱です。
これより石段を上がります。
これが石段です。
 
石段は二段階になっています。
50段+50段です。
小生は途中で一息入れました。
慣れている人はスイスイと上がって行きます。
これは上側の50段です。
やっと上に着きました。ほっとです。
今日は道中の事が長くなったので拝殿と
本殿を紹介して終わります。
拝殿・本殿が見えました。
 
この写真は今回撮影です。
拝殿・本殿
拝殿
これは2019年3月に撮ったものです。
 
現在と変わりはありません。
 
由緒

四條畷神社由緒記

御祭神 贈従二位 楠木正行 卿

    贈正四位 楠木正時 卿

    贈従四位 和田賢秀 卿

     外 殉節将士 ニ十四柱

鎮座地 大阪府四條畷市南野 (飯盛山麓)

創立   明治天皇 の思召により明治二十二年

    別格官幣社に列格仰下され翌年鎮座

摂社  御妣神社 正行公御母

 

楠 正行公は楠 正成公の嫡男であり正成公の大楠公に対して小楠公と申し上げる卿は延元元年(一三三六年)湊川へ出陣をせられる父君と桜井の駅にて訣別されたが時に御年十一歳爾来母君に孝養を尽して臥薪嘗胆読書練武に励み報恩の至情を捧げた正平二年(一三四七年)十二月後村上天皇 に拝謁国難に殉せん事を誓い如意輪堂の扉に鏃をもって決死の和歌を遺された。翌年正月敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや正行卿一族は寡兵よくこれを迎え撃ち獅子奮迅せられたが満身に創を受け遂に殉節せられた時に御年二十二才の青年であった。この正義に燃えたる小楠公の事蹟と吉野朝史の一齣は四條畷に永く留められ万古に変らぬ飯盛山は青少年の徳義昴揚を叫び老松は史蹟を語っている

 

 

 

 
 
今日は拝殿・本殿の紹介で終わります。
次回は周辺を少しずつ紹介します。
 
2019年に訪問した時はこの後飯盛山に
上がりました。
今回は止めました。
 
最後までお読み頂きありがとうございました。