2022、8、2(火)雲景写真と念を唱える(書き込み) | 芸能名【カカシ】並びに【かっつィーと】のブログ

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・復刻縄文時代=ポスト主義時代

・ 焼き絵万華鏡(趣向作品)もよろしくお願いします。

・統合失調症の診断が下っていますが、健康度は秀逸で過ごしています。



































時代は令和と命名されて





昭和と平成のカラーと






見比べて(考察)今一度







世の中の風潮を探りたいと思います。












世相を読む感じです。













日本の中では政治への関心が





氣薄になってるとは今も昔もさほど






変わらない氣もします。










世間が政治に向ける関心ごとは







安定的に生活を保持する国家運営を





望んでのことが多分な氣がします。










保守堅持で政局は持続中のようで







国家中枢によって難局ともあろう









ご時世にして健康を保持することにも








いそしめることが出来るのは










ありがたいことです。













確かに超勤の社会的な風潮は働く側で見れば








酷暑と相まってコンディション整える





ことでも精一杯な日々が続いているように






も思います。












余暇とのバランスにおいても







健康を保持していないと





楽しめる範囲も限られてくる







世相にも思います。












楽しみを見つけることには余念がないのが








人の常だとは思います。













その上でも見たときに








ブログを打って氣を収めようと








してる(する)最中のことであったりはします。

















政治に関心が向かなくとも日常的に






生活する上では普段から密接に過ごして










いるのが日本社会であることで











投票率も低下するのも世情を知る上では










当たり障りなく運営が執り行われているので








あれば平和のぼやきも行雲のように







時代の残像と化するような近頃な氣もします。
















明確なものは見えなくても









時代をデザインする当事者としても












この記事ひとつで読者さんにおかれても










共感めいたものがあればワンネスといった










わたくし一人の戯れ言とはなくなります。















これを読まれて疲れが湧くのか






氣が休まる氣がするのか









わかりませんが、











生理的に恒常機能に訴える









ものと思いますから、












ご自身のバイブレーションが










好転反応に及ぶものと思います。















好転反応は重くとも軽くとも








恒常機能に訴えるものですから









バランスを取って(取ろうとして)






のことですので、










デトックス作用といった












ゆるみに及ぶ視覚ヒーリングであったりと










思って頂けたらと思います。
















文字が集中して読めることは












認知機能も正常に働いていることに









思いますので、









特段病んでない健康的な方が読まれる







ことと思います。














病んでいるとは周りを見ることに








時間を割けないことで起きやすい










自虐的状態であることも多分と思えます。
















何かに集中して時間を割くことは










人生の中では繰り返される習慣の類いとも










思います。
















遊びにも集中することで









集中が求められることは











数限りません。

















集中を持続させようと思ったら









良質な睡眠は健康の上で









最も大事な優先事項にも思います。
















人生を象る(かたどる)上では











何事もバランス良く整える(整えながら)





ことが求められるのが肝で大事だと








氣付かさずにはいられない氣がします。
















満遍なく思考においても行動においても








精神身体(心と肉体)を安定させるのが









アタマではわかっていても行動に変える









ことが見易いようでむずかしいことで






あったりするものと人生を語る上では







相場は決まっているものと思います。













世代間に横たわる共通の課題は











同じ時を経た感性だと似たような






視点論点の部分にも思います。

















この先々の世界において







次代へ引き継がれる人生での









課題は記述が残る以上は






普遍的なテーマにもなることと思います。












それ(この視点)を知って(知った上で)






どう(これから)次代を紡ぐ(つむぐ)







かは後世間でも繰り返し問答の対象に







なることでしょう。














ただ、この視点もおそらくは









50(歳)近くにもなると










普遍的に至る境地であることと思いますし、













知ってか知らずか幼き日と老齢に達しても











同じことを描き続けることである氣もします。














いろんな経験を経ないと










つぶやきにいたるようなブログ打ちには









至らない氣もします。
















だから案山子っぽいでしょうって








話しではあるのですけど。












ただ突っ立てるだけだけど








いろいろ案じてるのです。















_φ( ̄ー ̄ )