ショートショート小説

   「近歩三の末裔」 (3)

   神田・神保町の喫茶店で勇一と隼人、房子の三人は落ち合った。悪事を働く相談ではないがなにぶんにも他聞を憚る内容だから声を落とし茶飲み話を装ってこれから起こす行動の核心部分について打ち合わせた。それはいま権力の側が進めようとしている軍拡への道にいかにして打撃を与えるかという建設的な秘めた打ち合わせである。

 これまでに週に一度は会って決めたことは早期決行に固まっていた。この日の打ち合わせはドローンの手配やアジビラ散布などの手筈が万端支障なく済んでいることを再確認したのである。かくして神保町の喫茶店の最終的な打ち合わせは滞りなく済みいよいよ決行を待つのみとして散会した。

 勇一も薄々は感じていたがこの頃には隼人と房子はプライベートタイムにコーヒーだけでなくビールやワインを飲みかわす仲になっていた。この日も勇一は独り帰路についたが二人は別行動であった。<他人行儀な奴らだ>との気分が勇一にないではなかった。だが難癖をつける立場でもない。この年頃にはよくある若者の好ましい関係なのである。妬ましくはあるが達観するより仕方がないのだ。

    やがて、決行の時がきた。勇一が問いかける。
「エキスパートの隼人クンといえどもタイミングよくドローンを引っ張り出すのは難しいのかな」
「ドローン自体はどうにでもなります。技術的に飛ばすことに問題はないです。ただ、すぐに規制がかかると思います。つまり操縦者のボクが拘束されて操縦不能になるか最悪には撃墜される恐れがあります。それが問題ですね」
 
 勇一たちの構想ではドローンによるアジビラの紙爆弾を大量散布することにしている。国会議事堂、首相官邸、霞ヶ関一帯及び都心部の上空から激烈な反戦アジテーションを行うのである。この時点で勇一のゼミに所属する学生たちの連帯の輪は広がり戦争反対、軍拡反対の声は学域を超えていた。学生たちの声はコラムとしてエッセイ、俳句、短歌などさまざま形をもって戦争・軍拡の道への指弾が凝集された。

   いよいよ隼人が彼の勤務先会社から失敬する最新ドローンが活躍する時がきたのだ。房子が起草した反戦宣言・決起文が国会議事堂、首相官邸、防衛省、霞ヶ関官庁街を始め銀座、新宿、池袋、渋谷など繁華街の上空から大量に散布されたのである。同時に星合勇一のゼミに参加する学生の全員が防衛相、外務省などに分散してスタンディングデモを敢行したのである。そして口々に「戦争反対・軍拡増税反対」のシュプレヒコールを繰り返した。

 しかし、ドローンを繰り出した八重垣隼人をはじめ国会議事堂正門前で紙爆弾をばら撒きスタンディングデモを敢行した星合勇一と16人の学生たち、それに同じく学生10人と防衛省門前で同様の行動をとった鴨志田房子もたちまちのうちに所管警察署に連行された。ただ、学生たちは拘留せずすぐに解散させた。勇一たち三人は夜まで尋問を受けた。 

 素人判断でも道路交通法違反には該当する。場合によっては国家反逆罪は大げさだが名前のついた罪を問われる可能性はあるのだった。ただ、それとは別にドローンを使ったことの奇抜性にマスコミが飛びついた。新聞記者が詰めかけた。ベタ記事ではなく三段見出しぐらいには扱うだろう。所管警察署は俄かに人の出入りで騒々しくなり取り調べ官の顔も緊張した。

「ドローンを戦争の武器として使ったのではなく平和を求めるために使ったのだから取り立てて罪を問うには当たらない」
「君たちはご先祖様が犯した戦争への道という過ちとは逆の戦争忌避と平和をあの散布したビラで訴えたのだから何も恥じることも卑屈になることもない」
「届け出なしでドローンを飛ばしたことや無届デモは咎められて仕方がない。だから警察署に呼んだけど誰かに危害を加えたわけではないから留置場に泊まるには及ばない」
 
 所管警察署の示した見解と対応は極めて微温的であった。とりようによっては寛大過ぎる措置に終始した。しかも、しまいには警察署長まで現れてこう言うのであった。
「あんた方がなぜ今回の行動を起こしたかについて取り調べ官から詳しい報告があった。それによればあんた方のご先祖は2・26事件に関係した近衛歩兵第三連隊に所属した将校だった。すなわち、日中戦争と太平洋戦争に繋がる起点とみられた事件です。近歩三の将兵は厳しく裁かれて然るべきでした。その末裔のあんた方が先祖が犯した罪を償うことを企図して今回の行動に到ったのは必ずしも罪とは言い難い要素があります。したがって署長の権限をもって留置するには当たらないものと判断しました。今晩は家に帰って寝てください」

  これには集まった報道関係者だけでなく誰よりも当事者である三人が驚いた。学生たちをひとりも拘留せず解散させたことに驚いたがそれにも増した驚きだった。それまでに認識していた警察とはまるで違っていた。そこには権柄づくでも高圧的でもない警察があったのである。
 やがて隼人が口を開いた。
「仮に自転車ドロ並みの罪で済んだとします。それでも前科者にはなります。しかし、それはボクたちにとっては誇るべき前科だと思います」 
  ここに至って警察署内の取り調べ室は取り調べ室ではなくなった。これでコーヒーとケーキでも出れば懇談会であった。したがって三人が夜遅くに警察署から解放され外に出た時は既に罪人ではなかった。

  (続く)