案山子コラム

  「水色のアマガエル」

 福岡県で突然変異とみられる水色の二ホンアマガエルが見つかり話題になっている。地元の私立高校の「水中生物研究所」で飼育されいずれ公開されるかも知れない。一見の価値はありそうで珍重されるだろう。だが、このアマガエルの身になってみればはた迷惑な話かも知れない。なぜなら彼(彼女)は自分の躰がほかの仲間と違っていることを認識してはいないからである。だから、必要以上に注目され騒がれることにびっくりするだろうし特別待遇に狼狽するかも知れない。

 アンデルセンの童話に「みにくいアヒルの子」がある。要約すると次の通りである。
〖アヒルの巣に一つだけほかとは違う卵が混ざっていた。生まれた雛は灰色で少し首が長かった。他のアヒルたちは彼を「醜い」とさげすみいじめた。ほかの鳥の群れへ入れてもらおうとしたが追い出される。生きることの希望を失った雛は白鳥の群れにまぎれ込んで彼らに殺してもらおうと考えた。白鳥のいる水辺にたどり着いたとき雛は水面に映った自分の姿をみて驚いた。ひと冬を越して大人となり美しい白鳥になっていた。こうして「みにくいアヒルの子」は自分の本当の姿を取り戻した〗

 わが国では依然として小・中・高生の自殺があとを絶たない。そこに到るまでの苦しみや悲しみの中に潜んでいるイジメの罪は決して小さくはない。警察庁の統計によれば2023年度の自殺者は21、837人でそのうち先にあげた学生・生徒たちの自殺は11,466人にのぼっている。イジメた側の生徒を含めて国が抱える深刻な病巣といえる。

 一方、文部科学省の問題行動・不登校調査によれば2022年度における全国の小中学校で不登校だった児童生徒は約29万9千人余で過去最多になった。そのうち小学生が10万5千人余、中学生が19万3千人余でともに10年連続で増えている。不登校が直ちに自殺に結びつくとは限らないがその危険性は十分にある。学校以外のコミュニケーションの場としてフリースクールの活用はイジメを撃退し悲劇を減らすことに繋がる可能性を秘めている。児童・生徒の自主性が学校ではなくここで発揮されれば素晴らしい。

 「水色のアマガエル」の話に戻る。仮にこの二ホンアマガエルが自然界に放たれたとするなら「みにくいあひるの子」の路を進むのかそうではなく警察庁の記録に残るような悲劇的な末路を辿るのかそれは即断できない。このアマガエルの生き抜く意志がもっとも重要であることは付言するまでもない。同時にアマガエルの仲間や自然界にどう適応していくかが問題になるだろう。
 
 翻って人間社会でも同じことが言える。姿形を含めて少しでも人と違った行動、様子・気配がある個人に対して必要以上の関心を持って干渉や誹謗・中傷の類をしてはいまいか。彼ら青少年の魂を理不尽に毀損したことがありはしまいか。彼らへの性加害が魂の殺人であることを知ってる大人は果たしてどれほどいるだろうか。それをみてみないふりをしてきたマスメディアがあるのではないか。魂の殺人が終身刑に値する重罪であることは言を俟たない。だが、それは他人事と認識されていないだろうか。

 いま、家族のあり方、教育のあり方など自問すべき事柄は枚挙にいとまがない。高度もしくは強欲に発達した現在のファンド社会に巣くった病原菌の蔓延は深刻の度を増している。ハゲタカファンドが跋扈するこの国において貧富の格差はいまや止めようもない。かくしてこの国は悲観材料ばかりが捨て場なく目の前に山積されることとなった。

 だが、吾人は愚考する。どんなに世の中が荒んでも疎外されても子供たちから悲劇を救う終局の切り札はアヒルにおいてもアマガエルにおいても人間においても神ではなく親の愛であると。