案山子エッセイ

「大相撲昔ばなし」

 70年に亘って大相撲をみてきたのでいろんな出来事や話を聴いてきた。一方で遠く忘却の彼方に去ったこともある。それでも昨年の五月場所では双葉山に対する安芸ノ海&笠置山の作戦や柏戸と大鵬の立ち話などの昔ばなしをアップした。それらを含め今回紹介する話もあくまで仄聞だから事実かどうかの確証はない。けれどもまた心に残るいい話を思い出した。ひとつは名人横綱として知られた44代横綱・栃錦の現役時代の晩年と理事長時代の話である。もうひとつは56代横綱・若乃花(二代目)と59代横綱・隆の里にまつわる逸話である。

 大相撲が部屋別総当たり制になる前は一門同士の力士は本場所の土俵では顔合わせがない。従って当時(昭和30年前後)は「出羽一門」の出羽の海部屋と春日野部屋の力士は本場所では取り組みがない。出羽の海部屋の横綱・千代乃山と春日野部屋の横綱・栃錦は半ば兄弟力士だから稽古場以外の取り組みはない。横綱晩期にあった千代乃山の引退が取り沙汰されている最中に関係者の間で栃錦にも限界説が囁かれていた。横綱の散り際はきれいでなければならないと言われていた時代である。しかし、栃錦は頑として引退の二文字を口にしなかった。江戸っ子横綱できっぷのいいことで知られた横綱らしくないと親しい関係者がその頑迷な訳を訊いた。栃錦曰く「千代関より先に引退しては兄弟子に対して失礼になる。だからまだ引退はしません」だった。

 その栃錦が現役を引退して日本相撲協会の理事長になった。春日野理事長である。ある日突然、理事長の任期を半ば残して引退(勇退)すると言い出した。関係者がその訳を訊ねた。曰く「僕が任期いっぱいまでやると後の二子山クンの任期が僅かしかなくなる。それでは気の毒だ」。二子山クンとは現役時代に「栃若時代」を築いてともに大相撲を隆盛に導いた功労者で土俵の鬼と称された45代横綱・若乃花(初代)のことである。男の踏ん張りどころと引き際をわきまえた栃錦の゙見事さは今に残る。

 もうひとついい話がある。昭和50年代である。当時、向かうところ敵なしで「憎らしいほど強い」と言われた55代横綱・北の湖の全盛時代だった。そこへ同年代の横綱・若乃花(二代目)が台頭してきた。新横綱昇進の記者会見でライバルは誰かと質問が集中した。当然、北の湖の名前が挙がると誰もが思った。ところがである。答えは「高谷です」だった。高谷とはいったい誰なのかその場にいた誰も知らない。それは当時、糖尿病に苦しみ幕尻に低迷していた同門の隆の里のことだった。二人は青森から二子山親方(初代・若乃花)に連れられて入門した同郷の仲間でありライバルだった。だから、若乃花はその高谷を自分が横綱になった時点でもライバルと言ったのである。
 
 その会見を聴いた隆の里は「幕尻にいるオレを今でもライバルとみてくれているのか」と感激しそして奮起した。高谷は病を克服した。昭和58年1月に若乃花が引退したその年の9月に59代横綱・隆の里になった。その忍耐が讃えられて当時NHKの人気朝ドラだった「おしん」からとって「おしん横綱」と言われた。隆の里が引退後に鳴戸部屋を興した時の談話で「あのひとことがワシに耐えることと勇気を与えてくれた」と述懐していた。男なら解かる美談である。

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☆栃錦清隆(春日野部屋、大正14年2月20日生まれ)=横綱在位:S30年1月~35年5月。出身地:東京・江戸川区。178cm、124㎏。幕の内優勝:10回。

☆若乃花幹士<初代>(二所ノ関部屋、昭和3年3月16日生まれ)=横綱在位:S33年7月~37年3月。出身地:青森県弘前市。179cm、105㎏。幕の内優勝:10回。

☆若乃花幹士<二代目。本名:下山勝則>(二子山部屋、昭和28年4月3日生まれ)=横綱在位:S53年7月~58年1月。出身地:青森県大鰐町。186cm、136㎏。幕の内優勝:4回。

☆隆の里俊英<本名:高谷俊英>(二子山部屋、昭和27年9月29日生まれ)。横綱在位:S58年9月~61年1月。出身地:青森県青森市。182cm、158㎏。幕の内優勝:4回。