案山子コラム
 
「彼我の差」
 
  
  愛媛・高知の両県で4月17日に震度6弱の地震があった。元日の能登半島地震以降、福島県沖、茨城県南部、岩手県沿岸北部など地震が頻発している。活断層列島のわが国ではそのたびに原発事故を心配しなければならない。

  今から13年前の福島第一原発事故の直後にドイツのメルケル首相(当時)が脱原発を宣言してから昨年4月に最後の原発3基を止めてドイツは原発ゼロを実現した。それから1年後の現在、過半となった再生可能エネルギーの拡大や天然ガス価格下落で電気代は4割下がっているという。「原発がドイツに戻ってくることはない」とは原発で財を築いてきたドイツの原発村住人の弁である。国内の一部に原発の復活を求める声もあるがドイツ政府は原発の新設を今後も禁じている。

  4月初めに大地震に見舞われた台湾には2025年までの「非核家園」(原発のないふるさと)の実現を定めた電気事業法がある。2022年には「グリーンエネルギーの推進、天然ガスの増加、石炭火力の削減、脱原子力の実現」を掲げて安定した電力供給の確保と地震による原発事故ゼロを目指してきた。さきの台中・花蓮の大地震でも原発事故は起きなかった。
 
   翻って日本ではどうだろうか。原発を減らすどころか新増設と再稼働及び稼働期限延長までも認めようというのがわが国政府の原発政策である。時代の要請に逆行しているとしか言いようがない。活断層列島と称され世界で最も地震が多いとされる日本ではいつどこで大地震があってもおかしくない。なのに原発事故という人災を無視した原発依存症が国民にどれほどの不安と鬱屈を与えているのかを政府・原発村住人たちは未来永劫に亘って顧慮すらしないのである。まさか未だに安全神話を信奉してるわけではあるまい。なぜなのか。

  そこにドイツや台湾との「彼我の差」を感じずにはいられない。起こってからでは遅いのである。福一の悪夢が日本列島に再現されない保証はどこにもない。自然エネや再生エネがこれからの時代を牽引するのがはっきりしているのになぜ制御不能に陥る恐れがある原発にしがみつくのか。寡聞にして明快な答えを知らない。

  いきつくところ「彼我の差」は原発村住人(政府)の思考回路の差に帰結するのである。つまり日本ではものごとの筋道を取り違えた「度し難い」人間が長々と原発をいじくりまわしてきただけの話なのである。少なくとも自分を「度し難い人間」とは思ってない吾人は地震だけでなくテロのターゲットにもなり得る原発のすべてを今すぐにでも止めて廃炉にしなければ日本(世界)が危ういと本気で思っている。ドイツのリーダーは賢明なのであった。「彼我の差」を突き詰めればリーダの差である。

  ちなみに運転中の原子力発電所の基数が一番多い国は米国で96基、総出力約10,192万kw。二番目に多のがフランスで58基、総出力約6,588万kw。三番目は中国でその次が日本である。いずれも重篤な原発依存症に陥った不幸な国々である。