案山子小説(長編)

 隼と山猫(10)

 インドネシアでの成果を肴に男女四人が互いのこれからを閉店後の「止り木」で検索し始めていた。
「オレは関係者の強いオファーを受けて近々アフリカのサントメ・プリンシペという国にいくことになった。洋上風力発電に関する手助けのためだ。もしかしたらそのまま行ったきりで日本とはオサラバになる。そうなれば今夜当りが日本での最後の酒になるわけだ」
「オマエさんの癖については以前から聞いてはいた。隼みたいにあっという間にどこかへ飛んでいく野生だということは承知している。それにしてもなんだってそんな遠くに翔ぶ気になったのかねぇ~」
 小川某が千代子の表情を窺うようにその訳を質す。それへの勇人の明確な応えはない。その夜、勇人は千代子を伴って閉店後の久代の店「止り木」に向かった。自分が日本を去った後に子供を産んでいるであろう千代子の世話を久代に頼む腹積もりである。その暗黙の了解を得るための夜会であった。虫のいい話なのは承知の上の行動だった。
 ただ、そのことはおくびにも出さず勇人は今夜集まった眼目がアフリカへの飛翔であることだけを話し始めた。アフリ行きについての協力を小川某に持ち掛けたのだった。
「アンタのAIアンドロイドの力を借りたい」
 勇人はバーボンが利いて虚ろな小川某を驚かす要求を口にした。しかし小川某の反応は疎い。その話の脈略を取ってワイングラスを手にした千代子が言う。
「あたしもそのサントメとかいう国に行ってみたいよ」
 久代がすぐさま否定の言葉を笑いをかみ殺して挟む。
「千代子さん、それはやめたほうがいい。そこにいる男がとんでもなく非人情なことは分かってるでしょ。そのサントメとやらで放っぽり出されるのがオチだよ」
 小川某が薄目を開けてようやく口を開いた。女同士の話を打ち切るように引導を渡す。
「オレのアンドロイドが完成するまでにはまだ時間を要する。それはオマエさんも分かってるはずだ。すぐには役にたたんよ」
 小川某の曖昧かつ消極的な態度にすかさず勇人は反論する。
「アンタが探求心旺盛な人間であるのはよく分かっている。その恩恵は台湾やシンガポール、インドネシアで証明された。素直に感謝している。ただし、アンタは中央アジアに棲息するマヌルネコという山猫と同じで巣穴から出てくる獲物を待ち伏せて徘徊しているだけだ。研究者としての才能は認めるが、アンタは世の中に蔓延する圧力や不公正、差別、分断といった不条理に抗うことには関係しない。所詮、縄張りの領域内だけに棲息する独りよがりな野生に過ぎない。だがオレは違う。オレの行動範囲に国境はない。オレは有害なオイルや石炭に頼らない自然エネの世界を創造するために飛んでいる。それが世の中の不条理に鉄槌を加えることになると確信しているからだ」
 小川某は勇人の舌鋒を耳にしてそれまでの虚ろな状態からようやく覚醒した。ただし口調は重々しく聞き取りにくい。不明瞭な言葉を交えてこう言う。
「マルチモーダル・AI搭載ロボ、即ちオレのアンドロイドがオマエさんの行くサントメとやらで活躍しそれがアフリカ大陸全域の自然エネ普及に貢献してくれればオレは死んでもいいと本気で思う。オマエさんはオレのことを狭量な山猫と言ったが山猫には山猫の生き様があるし生甲斐もある。身内意識が薄弱でどこへでも飛んでいってしまう隼とは違う山猫の生涯がある。そのことだけは愚弄してくれるな」
 久代が小川某の言葉を引き継いで言う。
「この山猫は日頃から不人情丸出しのオッサンだけどあたしは裸のモデル時代やその後のカラダ関係も含めてそこそこ話が通じてきた。オッサンのやってきたことは凄いことなんだということも次第に分かってきたし少なからず恩義にも感じてきた。けど、千代子さんとこの山猫との関係がサントメ行きの後にどうなるのかは簡単に割り切れない気がするけどね」
 ともに二人の男と情を通じている女の話はそこで途切れた。ただ、それまでに見せことのない憂愁がギリシャ彫刻のような千代子の鼻梁を掠めていた。久代が投じた疑問符への回答は誰からもなかった。それぞれが先行きに確たる洞察を巡すことなく時間は過ぎた。そして、隠しようもなく僅かに丸みを帯びてきた千代子の腹部を皆が認めながらどこかに逼迫した空気が夜を渉っているのだった。呑み心地のハッキリしないウィスキーを舌に張り付けたまま深更の大通りに出て勇人は車を拾い塒(ねぐら)のマンションに飛翔した。千代子は小川某と久代たち山猫族との雑魚寝のまま夜明けを迎えた。
 それから十日の後に勇人は日本からの定住者が一人もいない人口三十万人に満たないアフリカ大陸のサントメ・プリンシペ民主共和国に向かった。国土面積は東京都の半分に満たない。公用のポルトガル語は皆目分からずでのコミュニケーションの始まりである。ただ、勇人は文字通り隼のダイナミズムを発揮してアフリカで素早く飛翔した。一方、山猫の小川某はアバター・ロボに続く「マルチモーダル・AI搭載アンドロイド」の完成に全精力を注いだ。勇人への援軍であると同時に山猫が棲息を続けるのに必要な新たな武器を手に入れるためである。サントメ・プリンシペを手始めにアフリカ大陸における自然エネ開発に挑む覚悟を決めた勇人がこの大陸に骨を埋めるだろうことを飛翔するその翼が察知していた。
 四囲を海に囲まれた島国のサントメ・プリンシペは洋上風力発電には打ってつけの条件を備えている。ただ、いかんせん圧倒的な貧困が覆い被さっていた。勇人が提供する先進ソフトに多くの報酬は期待できない。だが、民族紛争が絶えず貧困がつきまとうアフリカ大陸の一角に自然エネの拠点を設けることに意義がある。勇人は商業主義では得られない無償の価値を見出そうとしていた。
 やがてはアフリカ大陸全土に温室効果ガスとは無縁のエネルギーが提供される。そして潤沢な自然エネとそれから派生するきれいな水がこの国のすみずみにいきわたる。それが死亡率が高い幼子を救うことになる。誰でもがきれいな水を享受できる国になる。その実現に自分が貢献したいとの思いがアフリカでの勇人すなわち隼の飛翔を支えた。それは、些細な利害関係に煩わされてきた三十余年の己が人生との決然たる別れでもあった。

 (続く)