翼の折れたエンジェル(=私達)


ここで言う「エンジェル昇天」とは、私達のことである。「私達」とは、一度なんらかの理由で職を離れ、心新たに再就職を目指し、パソコン基礎スキルを習っている私と、私と同じ教室で学ぶ中高年の方たちのことである。


また、あの有名な歌「翼の折れたエンジェル」をこの度、聴いてみたが、


 「♪サーティーン 二人は出会い

   フォーティーン 幼い心かたむけて

   あいつにあずけた フィフティーン 

   シックスティーン 初めてのキス

   セブンティーン 初めての朝

   少しずつため息おぼえた エイティーン♪」


なんて、そんな早熟すぎる!!(笑)決して、私達の歌ではない(笑)。




要するに(なにが要するにか分からないが)、傷ついた心を持った「翼の折れたエンジェル」な私達なのである(笑)。








  傷を舐め合う私達


教室の皆さんは、とっても親切で、思いやりがあり、決して失礼なことはしない。1つ例をあげるとすると、毎朝登校?すると、机の上に誰かが差し入れてくれた飴やビスケットがそっと置かれているのが普通であるような環境だ(笑)。


こんな楽しい優しい空間にいていいのかと思うくらいである。


それは、言い換えると、とっても親切(=社会人としてある程度の経験を積み)、思いやりがあり(=なんらかの理由で一度職を自ら辞めた経験があり)、失礼なことはしない(=失礼な目にあったことがあるから)ということ。


そして、本当は今、社会人失格とみなされてしまうような「無職」な状態なのに、皆さんと楽しく話をし、愉快な時間を過ごしていていいのか、とも、ふと思ってしまうのである。


パソコンスキルにしても、お互いに「日々頑張れば出来るようになる」「大丈夫、大丈夫」と、励まし合っている。先生も、できないと落ち込んでいる人がいると「そんなに落ち込まないで。大丈夫、毎日触っていけば出来るようになるよ。一回聞いて理解されたら、私達(先生)のいる意味がない。何度でも聞いていいんだよ。」と言う優しすぎる環境だ。




  しかし現実は


私達はみんな分かっている。ここは「特別で異様な空間」であることを。


一歩外に出れば、私達は、社会に貢献できていない「負け組」に属していることを知っている。

今、この空間で、一度傷ついた心を慰め合い、応援し合って、また、あの決して楽ではない社会に飛び出そうと準備している段階にいることを。折れてしまった翼を癒し、再び大空へ飛び立たねばならないのだ。


最悪、隣に座っている人が、再就職で競い合うライバルになるかもしれない。


でも、今は、お互いを気遣い、パソコンスキルの上達という一つの目標に向かって、協力し合う同志として、人生のわずかな時間、なんらかの縁で巡り合った人達と、充実した時間を過ごそう、と私は思っている。