かかしロングインタビュー『かかしの歴史 vol.1(後)』 | 「かかしのブログ」

かかしロングインタビュー『かかしの歴史 vol.1(後)』

(前の記事の続き!!)


-で、かかしを続けることに?-


そうだね。そのときねえ。

打ち上げで、オリジナルをもっと聞きたいとか、

今度、パーティーがあるとき、歌ってくれとか言われて、

恐縮しちゃったの覚えていますねえ。
調子に乗って、また次やるときは出ますよ的なね、

ことも言ってて。
で、優勝しちゃったことが会社の社長に伝わりまして。
次のバンド大会がまたあるから、

曲、作んなきゃねなんて、

話し合っていたにもかかわらず、

ずぼらな僕たちは全然作らなかったんですよ。

そしたら、93年だと思うなあ。

あの、レコード会社の2枚目くん、村上が、

自分たちの会社に入ってきた訳ですよ!
で、入ってすぐだと思うんだけど、

社長が定例ミーティングで、村上はかかしにはいれ!

そうすれば、音楽的にハイレベルになる。
ほんでもって、新曲を書き、そのデモを聞かせろ!

ミーティングで!というお達しが出まして。

もう、逃げられない状態になる訳です。


-で、曲作りが始まるわけですね?-


そうです。これ、もう業務のひとつに

なっちゃったからね。
ただ、最初の頃は、村上くんは、
たぶん、

サポートメンバー的に自分をとらえていたと思うなあ。

彼だって、突然宴会バンドに入れ!て言われて、

戸惑ったと思うよ。

でも、僕はすぐ、村上とも仲良くなっちゃったんだ。
だから、僕的には、最初から、

村上はうちのメンバーとして、扱ってたと思うよ。


-そして、3人で、初めての曲作り?-


曲は、基本的に、僕と菊池で作ってたの。

村上はねえ、アレンジ担当だった。

イントロとか、ギターフレーズだとか。

だから、曲が出来るまで、にこにこしながら、

ギターをつま弾いてるの。

まあ、今もそんなに変わらないけどね。


-「手錠」、「無縁仏」の次に作った楽曲は?-


これもねえ、記憶が曖昧なんだけどね、

菊池と村上と確認したところ、

次に作ったのはねえ、

「不幸子」、「南国兄弟」、「私は風なの」、

らしいんだよねえ。


-どこで?作ったんすか?-


恵比寿のそのときあった、会社の、

寿司屋の上のスタジオらしいです。

らしいというのはね、覚えてないのよ、あんまり。


-「不幸子」、作ったのに?-


うん。正直、不幸子って、作ったときの記憶、

無いんだよね。

特に、あのメロディー。

吉田拓郎をやろうと思ったのは覚えているんだけど…
でぇ、まあ、スタジオに3人集まって。

サチコ、ばんばひろふみさんの。

あれの正反対の曲を作ろうということになって。

反対だから不幸子だねと菊池が言い、

みんな笑って、そのタイトルいいねえ、
で、究極の不幸ってなんだろうと。

まず、歌いだしの

「ロングヘアーが、足にまとわりついて、

うまく歩けない」を僕が作って、

歌ってみせたんだよね。

もうそこからは、ネタ出しの嵐!

とにかく楽しかったの覚えてますね。


-ネタ出しですか。変わった曲のつくりかたっすね。-

ほんと、ネタ出しですわ。

でもねえ、そのおかげで、ネタ磨きができましたよ。

まず、菊池や村上にウケないと歌詞が

採用にならないという(笑)


-南国兄弟はハワイアンですよね?-


そう。それまで、暗いフォークをやろうで、

固まってたのに。

もう、なんでもいいかと。

ていうか、自分たちが面白ければなんでもいいなと。

でも、これこそが、かかしの魂なのね。

だって、そのあと、会社の定例ミーティングで、

このとき録ったデモを社員全員の前で聞かせて。

その時の社長のコメントが(注4)

『いいけど、もう少しさ。

今話題のなにかをいれるとかさ。時事ネタ入れるとかさ。

そうするともっといいのに。』って言われて(笑)

心の中で、絶対入れるか!そんなもの!

って思ってたもんね。

そしたら後で聞いたら、菊池も同じこと考えてたそうで。

あれは違うよねと。

10年先に聞いても、失笑しないものを。どうせ作るなら。

そんな考えがなんとなく、メンバーのなかに、

定着してったんですね。


-で、93年。2回目のバンド大会出場ですね。-


うん。このときもウケたよ~。

村上くんは、とにかく無表情で、しゃべらず、

淡々とギター弾いててと指示出して。

僕らは相変わらず、暗く、手をつないで登場し、

ぼそぼそしゃべるという、キャラでいきまして。
ただ、あまりにもウケたので、つられて、

菊池が吹き出しはじめてねえ。

その当時のライブでは、ほとんどMCが無かったんですよ。

今は、トークもライブの一部だけど。

で、また優勝しちゃったんだよね。


-2回連続?-


そうです。このおかげで、かかしは自分たちの中にも、

周りの人たちにも、定着しちゃうんだよね。

ここから、パーティーや誰かの結婚式の2次会とかに

呼ばれるようになってね。

呼ばれたら必ず、新曲を作ってった。

新曲の反応が見たかったのと、

まだまだかかし、やりまっせ的なアピールだったと

思うな。でもねえ、録って出しが多くて、歌った後、

忘れちゃう曲も多かったな。

あと、個人的な人のために書いたので、

パブリックではないとかね。

『ひでお』とか、

『ブラックマジックウーマン(BMW)』とか。


-かかし、快進撃ですねえ。-


そうね。まだね。フォークから解き放されて、

自分たちが面白ければ、音楽ジャンルは何でもいい

となって、いろいろやりたいことがでてきたのよ。

いろんな、世界の音楽で試したくなってきたんだよね。


92年に結成し、93年の段階で、

自分たちの音楽の方向性を決めたかかし。
だがこのあと、かかしは混沌の時代に突入する………




(注1) シャララカンパニィー。今は、自由が丘にあります。
(注2) 実際、ほとんどが、西海岸ロックか、

時代的に、ワールドミュージックブームだったので。
(注3) 渋谷駅のちょっと、恵比寿寄りの線路沿いのスタジオレッツ。

まだ、あるのか?
(注4) 社長さんはミュージシャンでもあります。