「和光」とともに銀座4丁目交差点のランドマークだった三愛ドリームセンタービル。

2年前から解体が始まっていたので、いまさらなんですが、

先日「東映会館」のときに使わせていただいた

web太陽の「昭和ビル遺産の記憶」がとってもよかったので、

まずはこの記事をご紹介します⇩

 

 

どうも私の世代の女性たちは、

銀座三愛で服や水着を一番買った世代になるみたいなんですが、

実は私はここのビルに入ったことが一度もありません。

(新宿武蔵野館の三愛とか西銀座デパートの三愛は行ってましたが)

なので特に思い出もなく、今回は書くことないんですけど、

以前すずらん通り入り口の「銀座あけぼの」のことを書いたとき

このお店が「ちいさなおうち」状態だった記憶を呼び戻そうと

このエリアの画像を収集したままになっていました。

 

また、「ゴジラ-1.0」のときに収集した戦後の4丁目交差点の画像とかもあり

そのすべてに(タワーになる前もふくめ)三愛は登場するので、今日はそれを

時系列に並べてみたいと思います。

 

戦災直後 

躯体はのこってるものの焼けただれた三越(右)が痛々しいです。

 

 

1948(昭和23)年

二階建ての「三愛」ができています。

リコー創立者の市村清さんが戦後この狭い変な形の一等地を手に入れ

食料品のお店をはじめ、その後妻のために婦人服販売をするようになったとか。

 

当時はまだGHQ占領下で、和光はTOKYO PXです。

 

1954(昭和29)年

北側から撮影したもの

5丁目のエリアにはまだほとんど高い建物がありません。

鳩居堂の屋根には「ナショナル」の看板。

 

 

1957(昭和32)年

交差点から有楽町駅方向を撮影

三愛の屋根には「雪印」の広告看板

 

1958(昭和33)年

鳩居堂のナショナルの看板は1954年に星型の大きなネオンサインになりました

三愛には皇太子殿下ご成婚を祝う写真額が見切れています。

 

 

同じ時期、

有楽町駅方向に撮影したもの

 

 

1963(昭和38)年

三愛ドリームセンターが完成!

当時屋上看板やネオンサインはふつうでしたが、

建物そのものを広告塔にしてしまう斬新な発想!

 

東京じゅうがオリンピック直前の建設ラッシュでした。

営団地下鉄日比谷線はオリンピック前に全線開業したので

この時は工事中ですね。

5丁目の工事中のビルはワシントン靴店のところでしょうか。

 

 

1964(昭和39)年

地下鉄は完成し、あちこちに東京オリンピックの旗が見えます。

 

 

1970(昭和45)年

三愛の向かいにサッポロ銀座ビルが完成しました。

高いビルがずいぶん増えましたが、

まだ洋書イエナとか近藤書店~銀座あけぼのの並びは低いですよね。

 

 

 

三愛ドリームセンターの広告塔は30年くらいずっと三菱でしたが、

その後、短期でほかの会社の広告になったこともあったそうです。

 

1994年~

コカ・コーラ

 

2000年~

サントリーウィスキー響

 

2004年~

ボーダフォン

 

こんな時があったとは知りませんでした。

そして2006年から最後までリコーを掲げていました。

 

 

跡地にはなんか建つんでしょうけど、

申し訳ないけど、ほとんど興味ないです。

その理由をうまく書けないので、上記のweb太陽の記事から

カメラマンの都築響一さんがかかれているものを一部引用させていただきます。

あれから半世紀が経ち僕は年老い、

同じように年老いた銀座は若返りの真っ最中だけど、

いまの銀座は都心でいちばん足を運ばない街になってしまった。
高級品を売る店はたくさんあるけれど、

高級な文化を売る店がひとつずつ姿を消していくのを見るのが、

自分の老化を見せつけられるような気がして僕にはつらい。

 

 

(追記 今日の三愛跡地)

 

 

三愛ビルの解体はほぼ終了し、塀の向こうには、もう何も見えません。

 

そして中央通りの向こう側では、銀座コアビルの建て替え、それから

松坂屋(じゃなくて銀座SIXでした)手前のみずほ銀行のあったビルも工事していますね。

どこまで変わるのやら・・・