映画 「異邦人 デジタル復元版」 1967(昭和42)年公開 ★★★☆☆

(イタリア語:字幕翻訳 島伸三?)

 

 

「きょうママンが死んだ」

 

養老院から母の死を告げる電報を受け取ったムルソーは

アルジェから80㌔離れたマレンゴにバスで向かいます。

ひどく暑い日。

門番は、明日にも埋葬をするといい

院長のところに案内してくれました。

3年前に入所して以来、ムルソーが母を見舞うことはほとんどなく

ただ、院長は「お母さまがここで過ごすのは良い選択だった」と。

母の遺体は既に霊安室の木の棺に納められており

鼻に包帯を巻いた女性が付き添っていました。

釘もすでに半分打ってありましたが

「お顔をみたいでしょう」という係員の申し出を断って

「いや、見ないでおこう」とムルソー。

カフェオレをいれてもらい、タバコを吸っていると

養老院の友人たちがやってきて、一晩棺を囲んで夜を明かしてくれます。

 

トマ・ペレスという老人は母と一番親しかったようで、

翌日の埋葬にも特別に同行することに。

棺を乗せた馬車の後をついていき、

棺を穴に入れると、赤い血のような土をかぶせていきます。

気を失うペレス。

ムルソーは最後まで涙を流すこともありませんでした。

 

 

翌日は元同僚のマリーと海で再会し、

海水浴の後は映画館で「フェルナンデル」を見て

自分の家に呼んで一夜を過ごします。

 

同じアパートに住むレイモンという男に

「いいワインがある」と誘われ、話を聞いていると

「情婦の兄を殴ってしまい、以来付きまとわれている」と。

女はヤスミンというアラビア女で、自分をヒモ扱いした上に

他の男とも関係があるという。

「女なんて殴ってもベッドの上で機嫌を直す」

ムルソーは代筆で手紙を書いたり、レイモンに協力します。

 

レイモンの部屋で女の叫び声が聞こえ、住民の通報で警官がやってきて

レイモンは連行されますが、ムルソーの証言で逮捕をまぬがれます。

 

ムルソーは、上司からパリの事務所で働かないかと持ち掛けられますが

今のままで満足していると断ります。

マリーとは頻繁に逢引きしていたのですが、

彼女は「私もいっしょにパリに行きたい」といい

「風変わりなあなたが好き。私と結婚したい?」

「君が望むのならしたいかも」とムルソー。

マリーは「同じ理由で嫌いになるかも」といいます。

 

ある休日、レイモンに誘われて、ムルソーはマリーを連れて、

レイモンの友人夫婦の別荘に出かけます。

食事を終え海岸を歩いているとアラビア男3人と出くわし、そのうちのひとりは件の女の兄でした。

ケンカがはじまり、アラビア人はレイモンをナイフで刺して逃げていきました。

次にムルソーがひとりで歩いているときまたその男と出会ってしまい、

男のナイフが太陽に光るのを見ると、ムルソーはレイモンに預かっていた銃の引き金を引きます。

つづけて4発撃ってとどめをさします。

 

 

彼は捕らえられました。

法廷では、彼が母の葬儀で涙を流さず、コーヒーやタバコをたしなんでいたこと。

葬儀の翌日、コメディ映画を見て笑い、女を家に連れ込んでいたことなどが問題になり

死刑の判決がおります。

牢獄を訪れる神父の話を聞くのも拒否し、

処刑の日に大勢の見物客が自分に対して憎悪の叫びをあげることが私の望みだ、と。

                       (あらすじ ここまで)

 

 

下高井戸シネマでは2週間にわたって「小説と映画の世紀展」をやっていて

今日がその初日。

カミユの原作小説をヴィスコンティが映画化した「異邦人」の

トークショー付きの上映がありました。

 

 

左側のは、今日配布された「小説と映画の世紀展」の奥付(表紙はトップ画像)で

今回の企画は世田谷文学館とのコラボ企画でもあります。

まさに「読んで♪観て」の世界なんですよ!

 

今日の講師はドイツ文学者の渋谷哲也先生。

もともとがフランス文学で、ヴィスコンティのイタリア語バージョンなのに

なぜドイツ映画の専門家?と誰もが(本人も)思っちゃいますが、濃密なお話が聞けました。

 

*あまりに有名な原作のとき、まっさらな気持ちで見る人は少なくそれは作り手も意識している

*本作は(カミユの死後まもなくの映画化だったこともあり)原作にはかなり忠実。

ずっと一人称の原作に対して(自分語りの部分も多いが)客観的な映像の情報が加わる。

*ムルソーは感情を動かさない存在感の薄そうな人物を想定するが

マストロヤンニはガタイもよく健康的なイメージ

*映像化することで不条理感は若干薄くなったかも

*アルジェリアはフランスの植民地でアフリカにあるのに、

「植民地文学」は往々にして舞台になる国の情報が切り捨てられる。

まるでイタリアの田舎のようで、アラブ感が薄い。

*アラブ系の作家がアラブ人(殺された男の兄弟)の立場から続編を書いているので読むことをオススメ

*ラストも原作に忠実だが、最後の彼を泣かせたのは強烈な解釈といえる

*公開中の映画「箱男」の原作は阿部公房。27年前にクランクイン直前で頓挫したいわくつきの作品。

原作モノの映画化は思った以上に大変。ぜひ観てほしい。

*来月ここで上映予定の「アンゼルム」はヴェンダーズ作品なので

ドイツ映画の専門家としてトークイベントあるので、ぜひ来てください

*(ル・シネマで上映中の)ファスビンダーの「エフィ・ブリースト」も

19世紀のリアリスト小説の映画化としては必見の作品です。

 

最後に自分の感想を書くと・・・

 

予備審問や法廷のシーンが長いので「裁判映画」にも見えますが、納得いかないことだらけ。

母の葬儀で泣かなかったとか、翌日映画見て笑ったとか女性を連れ込んだとか、

信仰心がどうこうとか、殺人とは関係ないじゃん!

(おバカな週刊誌やワイドショーレベルのいらん情報ですよね)

直前にレイモンが被害者から刺されて病院に行ったとか

その時も彼はナイフを持っていて、それが太陽に反射して眩しかったのが

引き金を引く動機、というのは理解されないんですね。

ただ、得てして人は他人にどう思われるかを考えて

無難な行為をしていることが文字通り「無難」なわけで・・・

 

舞台がアルジェリアなのはわかりましたが、

何年の話なのか・・・?

ずっと気になっていたんですが、

年号の出たのはこの時。

多分養老院の院長?が証人として出廷したとき

「1936年6月に被告の母が養老院に来た」といっていて

母が亡くなったのがその3年後とすると、

1939年とか1940年とか、第二次世界大戦直前くらいの話だったんですね、きっと。

 

それから、母の死因についてなにも説明なかったのが不思議で

「すごく高齢」とだけだったので、老衰?と思っていました。

そしたら、ムルソーも正確に母親の年齢を知らなかったようで

「たぶん60代」というと、「そりゃ高齢だわ」といわれていて、びっくりしてしまったよ~!

 

80年前の60代って、いつ死んでもおかしくないくらいの高齢者だったんですね。(笑)

 

 

「異邦人」のチラシは、3年半前にデジタル復元版が公開されたときのを持っていました。

 

(映画とは無関係ですが)

ファスビンダーの「苦い涙」のときは、スリーディグリーズの「苦い涙」

「みてたはずよ あたしのきもちが~ すこしずつ♪」が頭から離れませんでしたが、

「異邦人」には、今度は久保田早紀の歌がすぐ反応して

「こどもたちが 空にむかい 両手をひろげ~♪」が

脳内を駆け回って困りました。

 

 

 

今日いただいた冊子はとてもよい資料で、この足で「世田谷文学館」に行きたいところですが、

今日は、このあと東急世田谷線に乗って、

ペンディングになっていた「世田谷区立郷土資料館」へ行ってきます。

                            (つづきはこのあと)