タイトルを変えてしまいましたが、

実質、昨日の続きです。

 

 
アートを理解できない人間なので、アートな人たちには
異論があっても極力だんまりを決め込むするつもりが
昨日はいちいち文句言って長文になってしまいました。
他の人がスルーすることにあえて突っ込む、というのは私の「芸風」なので(笑)
お許しください。
 
本題はここからです。

 

 
 

「顔のYシャツ」も「優美堂」もすでに閉店しており、ネットで調べようとしたら、

閉店後にかかわりをもったアート集団?のサイトが主な情報源となります。

それが上の2つ。ネットのライターさんたちも、みんなここを参考に記事を書いているようです。

 

一部を貼らせていただきましたが、両方ともこの建物を「看板建築」と言い切っていますね。

「看板建築の代表格」とまでいっちゃってますけど・・(笑)

 

たしかに「目立つ看板をかかげた店舗」ではありますが、

本来の「看板建築」ではないんだけどなぁ・・・・

 

で、紛らわしいことに、この近辺は(数は激減しましたが)

本来の意味の「看板建築」の残る地域でもあります。

 

 

上の2つと本来の看板建築を並べてる画像をXで見かけましたが、

全部を同じカテゴリーにするのはキツイ気がします。

 

 

左の木津硝子店(神田錦町2-4)は現役の「看板建築」で

私も去年写真撮っていました。

 

 
 
 
100年前の関東大震災の壊滅的被害をうけて、
復興時には耐火建築が奨励されたものの
一般庶民は、RC造りにはとても手が届きません。
そこで在来の木造の躯体に
正面をモルタルや銅板などの耐火材のファサードで覆った店舗などを作りました。
(当時は「街路建築」といわれてたそうですが)
後に「看板建築」という呼称が定着して今に至ります。
 
看板建築の例
 
 
ファサード部分の装飾は自由で華やかなんですが
間口が狭くて奥行きがある店舗が多く、
屋根裏部屋つきの2階建てまでが許されたから
だいたい高さも同じくらいに揃っていて
ずらっと並んでいても美しいんですよね。
 
ファサードのデザインは、ほとんどが無名の大工や家主が考えた
「なんちゃって洋風建築」なんですけど、それぞれに個性があって、
100年近くたって残っているものはほんとに美しいです。
 
要するに「デカい看板をつけたものが看板建築じゃない」のですが
Xで優美堂を検索すると、(犬やメニューのことがほとんどですが)
みなさん「看板建築」と断定しているのは
やっぱり基になるサイトでそう書いてるからですよね?
 
 
 
 
 
ただ、昔から記憶がある
懐かしい建物が残っているのは
うれしくなる瞬間ではありました。
 
 
今日、「顔のYシャツ」の跡地に行ってきました。
あとかたもなく更地になっていましたが、
驚いたことに、左となりの大きなビルの解体も始まっていました。
 
 
ここ、シンコーミュージックのビルでしたっけ?
小川町交差点の南西の角、この一帯も
ごっそり再開発されるみたいです。ああ・・・・