5月に深川図書館を初めて訪れたとき、

清澄通りに沿って、ず~っと低層の住宅がつづいているのに気づきました。

震災後の復興建築にも見えたのですが

「まさかね」とおもって、

クスリの袖看板が気になった薬局の写真だけ撮って帰ってきて

後日「薬局のある景色②」にそのことを書いたんですが・・・・

 

 

 

後で調べたら、

震災後の昭和3年に48軒の店舗用住宅を当時の「東京市」が作り

コンクリートの耐火建築であったことから、

空襲の激しかった深川地区にありながら戦火に耐え、

今もそのほとんどが残っているという・・・

 

戦後住民に払い下げられたそうですが、

築100年近い今になっても

40軒以上が残っているって、すごいことですよね。

 

 

ここです⤴

 

幹線道路に面した駅前の一等地ですから、

普通ならどんどん建て替えが進みそうですが、

40軒以上の低層住宅が続いているのは壮観です。

 

とりあえず、家にある本から昔を振り返ってみます。

 

 

加藤嶺夫さんの「昭和の東京④ 江東区」から、昭和46年の景色。

50年前だったら、そんなに珍しくない光景だったかもしれません。

 

同じ時期、一番北側から撮った写真

 

同じ場所の今日の写真

手前の「中根歯科医院」は今は音楽教室になっていますが、所有者はそのままのようです。

 

 

 

今日は昭和63年の住宅地図をみながら歩いていたんですが

文庫サイズで文字が小さすぎて、昭和3年からやっているという

「よしの屋」も「峯月書院」も見逃してしまった・・・😢

 

昭和63年にはあった「ニュープラザゴルフ」は撮影できたけど、ピンボケだし(笑)

 

 

小島薬局のサトちゃん、今日はちゃんと撮影できました。

 

 

ここのサトちゃんはコインをいれて動く「ムーバー」です!

昔は10円とか50円とかだったけど・・・

 

100円になってるので、今も動かしてもらえるのかもね!

 

 

すでにお店を閉じて普通の住宅に改装している家が多いので、カメラを向けづらく

なんだかつまんない写真しか撮れていないので、

いつもお世話になっている「ぼくの近代建築コレクション」より画像をお借りします。

 

 

 

 

ここからも30年以上たって、さらに改装は進んでいますが

おそらく躯体はそのままのように思われます。

基本6軒で1ブロックの長屋形式なので、構造的に切り離すのが難しいのでしょうかね。

 

何もわからない人がいい加減なこと書くのもアレなので

「旧東京市営店舗向住宅」で検索していただくと

いろいろわかるかと思います。

 

個人のお宅なので観光地化はできないですけど

もう少し、ここ、有名になってもいいような気がしますけどね~