映画 「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」 2024(令和6)年6月21日公開 ★★★★☆

(英語 字幕翻訳 岩辺いずみ)

 

 

1938年 第二次世界大戦直前

ドイツ・チェコ国境のズデーデン地方のユダヤ人たちは

ナチスに追われてプラハまで逃げてきましたが、そこも安全とはいえず・・・・

 

1987年 イギリス メイデンヘッド

ビールを買って車で帰宅したニック(アンソニー・ホプキンス)は
テーブルの上に募金箱のコインをならべて数えています。

 

 

ニックはあちこちの施設から不用品をもらい受けてくるので

部屋のなかは倉庫状態で、妻のグレタは不機嫌になります。

「もうすぐ妊婦の娘が帰って来るんですから、片付けてね!」

と強く言って、泊りがけの旅行に出かけていきました。

 

妻の旅行中に「ちゃんと断捨離しなくては!」

と覚悟したニックは、古いガラクタを捨てたり庭で焼いたりし始めますが

机の引き出しを開けると

そこには思い出深い革のブリーフケースが入っていました。

 

 

1938年 ロンドン

休暇で遊びに行こうとしていた若き日のニックのところへ

プラハで難民救済をしている親友のマーティンから電話が入り

事務処理の得意なニックに頼みたい仕事がある、と。

 

「あなたのやろうとしていることは正しいけど危険すぎる」

母の反対も押し切ってプラハに到着したニック。

マーティンは不在で、同僚のドリーン、トレバーが迎えてくれます。

 

彼らは、人権活動家の不当な逮捕や拘留を阻止することを優先しているようでしたが

ニックはそれよりも、見捨てられて希望を失ったこどもたちのことが気になりました。

町を歩くと幼い子どもの泣き声がひびき、劣悪な環境のなか、

うつむいて死の瀬戸際にいる彼らを救うことはできないかと。

イギリス人としてできることは、

一刻も早く子どもたちをここから脱出させて

イギリスで受け入れ、里親をあっせんすることだと考えました。

 

「子どもたちのビザと金がいる」

「どちらも無いが、これから手に入れる!」

それに、子どもを親から離すのには絶対的な信頼が必要です。

命を預かるのですから・・・

 

ニックは母に電話をして国内での受け入れに尽力してほしいと頼みます。

母は里親とスポンサー集めに奔走してくれますが、

一方で、ニックの職場からは

「英雄気取りはもう終わり、月曜にはオフィスに戻れ」

と、冷たい電報が入ります。

 

ドイツ軍はすぐそばまで迫っています。

ニックたちの力で、2週間後には第一陣の20人の子どもたちが

ロンドンに列車で到着することになりました。(あらすじ とりあえずここまで)

 

 

 

ホロコースト関連のドラマで

アンソニー・ホプキンス主演、ということだけわかって、

何をした人物かも知らずに見に行きました。

コルチャック先生みたいな?

と最初は思ったのですが、違いましたね。

 

「ニコラス・ウィントン」あるいは「キンダートランスポート」で探せば

いろんな情報が瞬時に入りますが、

なにも知らずに見に行って正解だったかもしれません。

 

ともかく、1987年にはお元気で、フツーに奥さんから

「部屋のなかを片付けてちょうだい!」と小言をいわれてる

どこにもいそうなおじいちゃんとして登場したので、とりあえず安心。

(本作には「関心領域」の時みたいな「覚悟」は必要ありません)

 

 

実質の主役は1938年の若き日のニック(ジョン・フリン)の方だと思うんですが

まあ、それはともかく・・・続きです。(ネタバレ

 

引き出しにはいっていたブリーフケースは、

プラハについたとき、「これに書類を入れろよ」と

中味を空っぽにして、トレバーが譲ってくれたものでした。

 

 

このなかに入れておいた大型のスクラップブックには

子どもたちの写真や手紙、絵葉書のようなものがたくさん収められています。

 

古いものは全部処分するつもりだったのですが、これだけは捨てがたい。

図書館や博物館に寄贈してもしまい込まれるだけ。

ためしに知り合いの新聞社にもちこんでみますが

「開戦50年で特集を組むが、難民はネタにならない」と言われてしまいます。

 

 

久しぶりに旧友のマーティン(ジョナサン・プライス)と会うと

「そのスクラップブックは歴史の宝庫だ」と

マーティンが知り合いをあたってくれることに。

 

1938年 プラハ

子どもたちの移送は4便まできましたが、救うべき子どもたちはまだまだいます。

どうしても3人分のビザが間に合わず、やむを得ずトレバーは

お金をだして偽造業者に頼んでしまいます。

途中でドイツ軍の検問があり、偽造がバレたら一巻の終わりですが

「イギリス人は(ユダヤの子どもを受け入れるとか)物好きだな」

と笑われただけで、バレずにすみました。

 

1987年 イギリス

マーティンから連絡がいったようで、

メディア王の妻であるベティが会いたがっている、と。

ニックはスクラップブックを持って訪れます。

 

 

「写真の上に✖印のあるのが行先の決まった子です」

「669人はロンドンに運べたが、ダメだった子の方が多い」

 

ベティはスクラップブックに収められている膨大な子どもの数に驚き

「想像と違って活動の規模に驚いています!」

 

ただ、ニックは、救った子どもの数よりも

それよりはるかに多い「救ってあげられなかった子ども」たちへの罪の意識に

長年苦しんでいたのです。

 

「最後の9便には250人の子どもを乗せて運び

イギリスではたくさんの里親たちが待っていたのに・・・」

 

 

1939年9月 プラハ

9便の子どもたちをのせた列車が出発しようというところへ

開戦の知らせが入り、難民事務所は閉鎖、

子どもたちも列車から引きずり出され、親元へ返されます。

 

 

「その後のことはわからない。大半が収容所で亡くなったのかもしれません」

するとベティは

「1万5000人のうち、収容所から生きて出られた子どもは200人」

「あなたは669人も救ったのよ!」

 

「このスクラップブックはしばらくお借りできないかしら?

主人にもぜひ見せたい」

 

 

しばらくすると、ニックのところに連絡が来て

「ザッツ・ライフ」という人気のバラエティショーで取り上げるので

テレビ局に来て欲しいと。

 

司会者が難民の子どもたちの輸送についての話をはじめ

「実は会場に、そのときイギリスにやってきた少女ヴェラが来ています!」

 

 

立ち上がったのは、観客席でニックのとなりに座っていた女性です。

「ヴェラ、あなたのとなりにいるのが、あなたの命を助けてくれた恩人よ!」

 

ふたりはハグし、この光景はイギリス中のお茶の間に映し出され

テレビの影響は大きく、次々とイギリスで成長した子どもたちが名乗り出ます。

 

「親も兄弟も死んだのに、なぜ自分だけ命があるのか」

子どもたちはみんなそれを知りたいと思っていました。

 

 

次にニックが番組に出演した時、観覧席にすわっている全員が

ニックが救った子どもたちでした。

彼らの子どもや孫まであわせると、

ニックたちは6000人もの命を救ったことになります。(あらすじここまで)

 

 

 

 

 

 

2016年に「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」という映画が

日本でも公開されていたんですね(知らなかった!)

 

ニックは2015年まで存命だったので、

予告編を見る限り、こちらの映画にはニックも難民たちも本人が登場し、

テレビ番組はもちろん、過去映像も実際のものを使っています。

「再現シーン」はちょっとお粗末だったけど、説得力はこちらのほうが上。

 

本物のニック

 

ジョン・フリンが演じたニック

 

本作は「事実に基づいたフィクション映画」なので

映画的な表現も多く、キャストも豪華!

 

カメオでジョナサン・プライスが出てくるところでは、

誰もがこの映画を思い出しますよね!

 

 

大物俳優はこれだけではありません

 

ニックの母も

ヘレナ・ボナム=カーターだし。

 

俳優のギャラも高そうだし、

80年以上前のプラハの街や駅の再現にもたっぷりお金かけているでしょうね。

 

 

ネタとしては8年前のドキュメンタリーの焼き直しだし、

賞レースに参加するような感じではないですが

ただ、「美談」で泣かせるだけの話にはなっていません。

 

ニックのやったことは「偉業」ではありますが、

本人は「助けられなかった子」のことが頭から離れずに、むしろ苦しんでいたのです。

 

亡くなっているので確かめようもないですが

命のビザの杉原千畝さんだって、全員を助けられたわけではないので

駅を発つ直前の列車の中までビザを書き続けていたものの

時間切れで書いてあげられなかった人のことを想って、苦しんでいたかもしれません。

 

 

この赤ちゃんを抱いた親のいない少女。

(実話ではないかもしれませんが)

チョコレートを配った時も彼女の前で配り終えてしまい

やっと救えるというときに彼女はリストからはずれてしまったのを

ニックはきっと気に病んでいたのでしょう。

 

子どもたちの側からいっても、

イギリスにいったら安全は保障されるかもしれないけれど

それでも親との別れはとてつもなく淋しいし、

親の方も「このイギリス人を信用できるのか」と思いつつも

「せめて子どもだけでも助かってほしい」と命を託すわけですよね。

 

 

こういう別れのシーン、便ごとに映りますが

そのたびに胸が締め付けられそうでした。

 

それから、(孤児院でもそうでしょうけど)

子どもたちは「選ばれる」立場なので、里親からは

緊急性よりも可愛い順。賢そうな順。

ペットの斡旋をしているようなのもニックとしては

気になったことでしょう。

でも、とにかく一人でも救わなければいけないのです!

 

あのスクラップブックを図書館や博物館に「史料」として預けるのではなく

メディアに提供したために、ニックのやったことが公になり

子どもたちとも感動の再会を果たせたわけです。

多分ドキュメンタリー映画の方では「美談」要素だけなんでしょうけど、

もともとニックは「テレビのバカ番組」を見下していたわけです。

 

テレビへの露出は彼自身がやろうと思ったわけではないですが

マーティンからメディア王にわたり、テレビの調査力で「感動の再会」にこぎつけ

テレビをみた視聴者からさらなる情報が集まり・・・

 

「ご対面」ではなく「観客席にさりげなく座らせる」というのが洒落てるな、

と思ったんですが、

まあ所詮テレビですから、数字がかせげれば良いわけで・・・

ニックも感謝しながらもけっこう醒めているように思えました。

 

最初のほうで「募金箱にまじっていたボタン」を

なにか役に立つだろうと捨てずにとっておいたら役になった・・・

というエピソードがどうつながるのか?と思っていたんですが

きっと「俗悪なバラエティ番組」のことを指していたのかもね。

 

本作は見る人によって感想がばらつく作品ではないと思うのですが、

最後に「ついつい年齢計算してしまういつもの話」を書きます。

 

本作に出てくる年代は 

① 開戦直前の1938(~39)年

② 作中の現代の1987年

 

映画をみているとき、ニコラス・ウィントンなる人物を全くしらなかったので

アンソニー・ホプキンスの実年齢にあわせると、

②のときに87歳だったら、①には38歳。

1900年生まれで、杉原千畝氏と同じだな、と思っていました。

 

そしたらもうすぐ「初孫」が生まれるときいて

「ひ孫」の字幕ミスだと思っていました。

でも妊娠中の長女がでてきて、ホントに「孫」らしい。

こっちを優先すると、1938年にはまだ10代で、

難民の子どもたちとあまり変わらなくなってしまいます。

 

同じようにモヤモヤして観てたかた、いらっしゃいませんでしたか?(笑)

 

 

それでは正解を発表します!(あとでネットで調べただけなんですけどね)

 

ニコラス・ウィストンは1909年生まれ。

なので(1歳の誤差はありますが)

①のときは29歳

②のときは78歳

 

78歳で初孫って、ずいぶん遅い気がしましたが、

実は妻のグレタは二度目の妻でこの時49歳、

グレタとの初孫ってことだったんですね。

 

 

そして2015年まで存命だったっていうことは

106歳まで生きたんですね!

年齢計算好きの私の脳をバグらせる、想定外のすごい人生です。

 

 

 

助けた子どもたちのなかには著名人も多いみたいですが

こんな本を書いている人もいました。

 

 

ヴェラって、最初にニックのとなりに座った女性でしょうか?

この本、図書館で予約できたので、読んでみます。