昨日は空き時間があったので、地図を眺めつつ
長時間このエリアを散策しておりました。
目的はただひとつ、
「懐かしい景色を探す!」こと。
結果は「皆無」だったんですが、惜しいのはいくつかありました。
①「元祖 くじら屋」
残念ながら、
移転の掲示が出ていました。
(閉店ではないので、食事は可能)
↑
これは2007(平成19)年。
美美薬局が更地になってヤマダデンキのビルができるまえも
「元祖くじら屋」だけは、109の角に残っていたのですが
横丁に近いお店としては、ここが最後の砦だったのかも。
昭和20年代の地図には載っているから、激動の渋谷で70年以上!
日本が捕鯨で世界からバッシング受けていた時も、ずっと営業してたんですね。
「サモワール」の看板が見えるので
まだ横丁のあったころですね
三丸興産(ミツマル)のサイトにも、くじら屋と思われる看板が見つかりました。
(東急本店がオープンし、109がまだなので、昭和50年前後でしょうか)
それから、この手前の植え込みのところには「玉久(たまきゅう)」という居酒屋があって
109を建てるときに立ち退きを拒んで、
ビル完成後も、こんな感じで営業していたそうです。
写真当時の地図。
くじら屋は109のテナントにはならないものの、建物は一体化していましたが、
玉久は20年くらいはこのまま平屋でがんばり、
2001(平成13)年になって、17坪の9階建ての自社ビルを建て、
最上階に入りますが、お店は2020年に閉店したとか。
その「玉久ビル」、道路側はあるていどの長さがあるので、
この部分だけ109にひっついているなんて
言われなきゃわからないですね~
なんの違和感なく、前を通っていました。
② 「MITSUMARU(ミツマル)」
戦後すぐ、この三角地帯の頂点部分に開業したのが
紳士・婦人・子供服のミツマル。
上の2枚も三丸興産のサイトからお借りしました。
洋裁材料の東亜と丸南が映っていて懐かしい~
この関東大震災の復興建築の築100年近い6軒長屋の看板建築。
空襲で焼けなかったことも含め、渋谷の地では「奇跡」の存在です。
私は営業していたころも覚えているけど、
閉店後も、ほんの10年前までこの姿をとどめていました。
↑は、一昨年の10月にこのあたりを散策して、
在りし日の6軒長屋の姿を妄想していたんですが
現実の風景はこれ⇩でした。
ところが、今日行ったら、大規模再開発の最中で、
もう、一切合切が解体され、
すでに、ここがどこかもわからない状態でした。
気をとりなおして、井の頭線改札へ向かう「大和田横丁」なら?と思い
(前回は昭和30年代の地図でしたが)今回は昭和60年代の住宅地図と見比べていたんですが、
どうやら、現存するのはイワキメガネくらいしかなさそうです。
昨日のイワキメガネ
ここのお店で私はメガネを買ったことはないですが
たまたま同期の友人がこの企業に就職したため、40年以上前のお店は記憶しています。
サイトには「渋谷道玄坂で愛されて82年」とありましたが、
渋谷のこの地で業種もお店の場所も変えずに・・・
ここの82年はただものじゃないですよ~
(もっとアピールしていいんじゃないですか?)