映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」2024(令和6)年4月26日公開 ★★★★☆

原作本 「エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一」デヴィッド・カ-ツァー 早川書房

(イタリア語ほか :字幕翻訳 椎名敦子)

 

 

1852年 イタリア ボローニア。

生後6か月の男の赤ちゃんのまわりで祈りをささげる人たち。

 

そしてその6年後、6歳になったエドガルドは兄弟たちと

家のなかでかくれんぼして遊んでいます。

もう眠る時間だと母にいわれ、キッパをかぶって

シェマ(イスラエルの神への祈りの言葉)を唱えてベッドへ・・・

 

母マリアンナが末の赤ちゃんに授乳していると

いきなり大勢の男たちが訪れ、

「家族構成の確認をするから子どもたちを起こして欲しい」と。

 

言われた通り、子どもたちをつれてくると

6歳のエドアルドは

「お気の毒ですが、何者かに裏切られ

キリスト教の洗礼をうけたため、ユダヤ教の家で育てることはできない」

「教会に連れて行かねばならぬ」といわれ・・・

 

 

父モモロが帰宅しても埒があかず、父はエドアルドを逃がそうと、

二階の窓から下で待ち受ける親族たちに向かって投げ落とそうとしますが、

怖がる息子を落とすことはできず、

結局伯父?の仲介で、24時間後の移送が決まります。

 

命令したのは異端審問所のフェレッティ神父。

24時間の猶予を認めたものの、モルターラ家には武装警官を派遣し

厳重な監視を命じます。

「不信仰なユダヤ人に対して、我らの主キリストを知らしめるのだ」

 

 

1858年6月28日

エドアルドの移送の日。

 

父は勝手に洗礼した者の正体をあばこうとし

母はエドアルドにシェマを覚えこませ、肌身はなさぬようとお守り?を手渡します。

 

母が取り乱したらほかの子どもたちへ悪影響がある、と

父以外はその場に立ち会わないようにさせますが、

走っている馬車から無理やり降りようとする母・・・

 

エドアルドは教会の女性2人に付き添われ、

一晩かけて暗い運河を船で移動します。

 

 

「(息子は)ボローニアから出ることはない」といわれていた父は

翌日、教会に息子の着替えをもっていきますが

既に街をでたことが告げられて落胆します。

 

エドアルドはローマに向かっており、

バチカンで教皇と会うことになっていたのです。(あらすじ とりあえずここまで)

 

 

「子どもの連れ去り」なんて悪質で暗い話ですが

「シチリアーノ」や「甘い生活」のベロッキオ作品なので

迷わず初日に鑑賞。

 

原題は「Rapito」(誘拐)

身代金目当てや可愛さ余っての犯罪行為ではなく、

「キリスト教徒を異教徒の手から救う」という

一方的で理不尽な理由によるもの。

今だったら即110番案件ですが、拉致しにやってきたのは

「教皇領の警察」だったようなので、もうどうすればよいのやら・・・

 

 

前半の「悪役」は、この異端審問所のフェレッティ神父。

頭の上を剃ったカッパ頭で人相悪くて、とってもわかりやすい。

父モモロが何度質問しても、洗礼した人の名前は明かさず、

「もしかしてこいつのでっち上げ?」と思ってしまうようなキャラです。

(実際は違うんですけどね)

 

モルターラ家は、子どもが8人か9人くらいいる子だくさんの家庭ですが、

使用人が何人もいるような裕福な家のようです。

そしてかなり敬虔なユダヤ教徒。

ある日突然やってきて、

「お宅の息子はキリスト教の洗礼を受けたから、お預かりします」

とか、とうてい受け入れられないことです。

 

つづきです(ネタバレ

 

1858年6月 ローマ

「ここが君の新しい家だ」

そこは「初学者の家」とよばれる教育施設でした。

エドガルドは自分に与えられたベッドの枕の下に

母からのユダヤ教のお守りを隠します。

 

部屋には同じ年頃の男の子がたくさんおり、

心臓が悪く寝たきりのシモーネのことも気にかかりますが

とりあえず、少し安心。

ゲットーから来たエリアという少年がエドガルドに話しかけ、

「ママにも会えるし大丈夫」

「ラテン語のお祈りは丸暗記しないといけない」

とかいろいろおしえてくれます。

 

 

一方、諦めきれない父は、あちこちに手をまわして

「モルターラ家の事案」は国内だけでなく、仏英のイスラエル組織をはじめ

ヨーロッパ全土を巻き込んでいくことに。

 

 

教皇ピウス9世の耳にもそのことは届き、

ロスチャイルド家やナポレオン三世からも抗議されたことに怒り心頭。

当然聞く耳は持たず、エドガルドには自ら額に印を与えて洗礼を行います。

 

父モモロは、人づてに

エドガルドが元気にいること、快適に過ごしていること

祈祷文も完璧に暗唱して、記憶力が良いと感心されていることを聞いて安心します。

ところが

「本人が環境に満足していたら、取り戻すことは難しい」

「息子さんに会えることになったら、母が理性を失って正気じゃないといえ」

「息子さんを絶望させろ!」

 

そして、ようやくエドガルドとの面会が許されるのですが

「ママも兄弟たちも元気にしているよ」

「商売もうまくいっているから安心して」

としかいえないモモロ。

「家族全員が(キリスト教に)改宗すれば、すぐに家族の元に戻せます」

と、枢機卿?からはできない提案をされます。

 

 

シモーネが亡くなり、葬儀の最中に

エドガルドを取り戻しにユダヤ人が乱入しますが

取り押さえられます。

 

 

 

教皇領だったボローニアでは、1859年、市民が蜂起し、教皇の像は壊されます。

新政府は異端審問所を廃止し、モルターラ家の件でフェレッティは逮捕。

翌年には非公開の裁判が行われます。

 

洗礼の事実をどうやって知ったかが問われますが、フェレッティは黙秘。

ただ取り調べにより、当時モルターラ家の召使だった

キリスト教徒のアンナ・モリージが生後半年のエドアルドが病気になり

そのまま死んでしまっては救われないと、勝手に洗礼をおこなったことがわかります。

 

実際病気はたいしたことなく、アンナの供述は自己保身的なものでしたが、

簡易的な洗礼(台所の水を垂らして、父と子と聖霊・・・を唱えるだけ)でも

施したのは事実なので、これは有効である、と。

アンナは男にだらしがなく、いつも金に困っていて問題の多い女性でした。

洗礼のことをうちあけてフェレッティから金をもらっていたことも認めましたが、

それでも「いったん行った洗礼は有効」

 

そして、フェレッティについても

教皇からの命により、職務を全うしただけということで

あっさり釈放されてしまいます。

 

悔しがるモモロ

 

 

 

年月は流れ、10年後、

エドアルドは教皇の寵愛を受け、キリスト教の司祭になっていました。

 

1870年、バチカンもイタリア軍に包囲され、

そのなかにはエドガルドの兄も。

「迎えにきた。いっしょに家に戻ろう」という兄に

「ぼくの家はここだ」と言い放つエドガルド。

 

 

1878年、ピウス9世死去。

 

母が危篤という知らせを受けたエドガルドは実家に向かい、

死の床にある母に向かって

キリスト教の洗礼を授けようとして兄弟たちに阻止されます。

「父の葬儀にもこなかったくせに」

 

「ユダヤ教徒のままで私を死なせて」

母は絶望のなか、息を引き取ります。 (あらすじ ここまで)

 

 

使用言語、「イタリア語その他」と書いてしまいましたが、

カトリックの祈りの言葉はラテン語、ユダヤ教はヘブライ語だったようです。

それから、アンナもイタリア語でない言葉を話していました。

字幕ではイタリア語以外はすべて< >囲みだったし、私には全く聴き取れなくて・・・

 

オープンロールでカンヌのロゴがでてくると

なんか最近、それだけで気分があがります。

重厚や音楽や色使いも個人的には好みで、

シューベルトの歌曲「魔王」とか、オペラの一幕を見せられている感じ。

 

エドガルドが「キリストを殺したのはユダヤ人」と聞かされて

十字架の上のキリスト像の手足の楔を抜いてあげると

キリストが生き返って歩き出すシーンが印象にのこりました。

 

夢のなかのシーンは度々挿入され、

こことか、教皇が割礼されてしまう悪夢とか、

マンガ的ではなく、絵画をみているようでした。

 

 

後半のあらすじは、かなり端折ってしまいましたが、

時系列に進むし、年号の字幕もでるので、混乱はしないものの、

この時期の国際情勢とか宗教紛争についての知識がないので

とりあえず「家族の話」として見ていました。

 

 

原作はこれから読むので、また戻ってきて加筆訂正するかもしれません。

 

 

公権力による「拉致」「誘拐」は理不尽この上ないのに

実行するほうには根拠があったりして、正当化しようとするのが許せない。

北朝鮮の拉致事件のこととか連想してしまいますよね。

そこそこの生活環境は整っていて、とりあえずホッとしたものの

時間をかけて愛するわが子が洗脳されて遠くの人になってしまうのは、

家族にとってはたまりません。

 

あらすじには割愛してしまいましたが、

エドガルドの気持ちはかなり揺れ動いていて、

たとえば、拉致直後

父との面会では落ち着いて無難に対応していたものの

そのあとの母との面会では

「昼も夜もシェマを唱えて家族を思ってる」

「家にかえりたい」

と取り乱して、無理やり引き離されてしまいます。

 

 

この時母マリアンナは エドガルドが首からかけていた十字架を引きちぎり

服に(ユダヤ教の)何かを忍ばせる?んですけど、

「そんなのが見つかってお仕置きされたら息子を苦しめることになる」

と、父モモロだったら考えそうです。


 

成長したエドアルドを演じたのは

「蟻の王」のエットレ役の人。

 

大人になると振れ幅はさらに広く、

教皇に手をあげたこともあったし、

群衆から教皇の棺を守っていたかと思うと

「犯罪者(の遺体)はテヴェレ川に投げろ」と叫ぶシーンも。

 

カトリックに嫌気がさしたのかとおもいきや

兄が迎えにきても追い払うし、

母の死に目に最大の裏切り行為をしようとするし・・・

もう支離滅裂。聖職者って、こんなに病むものなんですね。

 

 

モルターラ家はユダヤ教徒だから、

ユダヤ教を信仰すべきで、カトリックは「クソ宗教」

という立場で描いているのかもしれないけれど、

信仰心ゼロの私からしたら、どっちもどっちで、

もれなく「気持ちわる~い」と思ってしまいました。(すみません)

 

たとえば、教皇から「汝を赦す」といわれたら、

ラッキー~♪ サンキュー~♪ で、終わりじゃないんですよね。

ひざまずいて教皇の靴にキスするんでしたっけ?

 

 

エドガルドも、床にキスして、舌で十字架を3つ書く・・とか

なんか変態プレイにしか思えないんですけど。

 

階段をみんなでほふく前進するのもなんか意味あるんですよね?

ごめんなさい、服が汚れそうで、見てられませんでした。

 

アホな感想で、すみません。

 

これから原作を読むので、

今日のところはご容赦を。